2003-2004年度 卒業発表会内容紹介

日本のベストセラー小説

Benjamin Tobacman (Harvard U)

誰も移り行く年月を止めることは出来ない。しかし、その流れを存続する形として止め、去り行く年月に最期の別れを許容するものがある。それは文学である。そしてその中でも、ある時代を生きていた人々を最も正確に反映するものの一つはその時、その時のベストセラー小説だと思われる。十冊のこの選り抜きの本を踏まえて、日本及び日本人がどのように変化してきたか、また、日本人がどのように戦後の社会をそのまま保ち続けてきたかという問題にスポットを当てていく。

グローバル化時代の企業の危機管理―見えざる危機を予防できるか

Jamie Ravetz (Gettysburg College)

「9月11日以降世界は永遠に変わってしまった。」というのは、今や使い古された表現になった。一方で、その日から企業の危機管理方法が変わって行ったのである。この混沌とした世界で生き残るために、企業は今まで経験したことのない、また想像を超えた危機に備えなければならなくなった。しかしながら、日本企業が十分な危機管理戦略を立てているとは言えない。本発表では、リスクと危機管理について簡単に説明した後、最近のアメリカ大企業の危機管理戦略を考察し、日本企業にとって何が必要なのかを明らかにしたいと思う。

臥虎藏龍-眠れる龍

Xuan Hui Ng (MIT)

中国では、1992年以降爆発的な経済成長が見られる。ある外国の企業は、中国における低い生産費や人件費、巨大な消費規模の魅力に引き付けられ、中国への輸出や進出を図っている。一方、ある企業は、そのメリットを疑い、中国におけるリスクや、自国の経済に対する脅威を気遣い、輸出や進出を躊躇する。中国に対する熱狂、あるいは懸念には根拠があるのだろうか。そのメリットとリスクとは、具体的に一体何だろうか。また、企業はどうやってそのリスクを回避し、中国をうまく取り込んでいくべきであろうか。本日の発表で、上述した疑問について検討してみたいと思う。

満州へ渡った日本の「大陸の花嫁」

Kerry Lowell (U of Michigan)

満州事変により、関東軍が中国侵略に成功し、翌1932年に大日本帝国は「新天地」、実は傀儡国家、満州国を成立させた。日本政府は欧米諸国に負けないように、国際的な舞台で政治・経済・軍事力などを誇示したかったのだ。そして、様々な北方防衛方針を作り上げた。例えば、満州開拓民政策はそれにあたる。ある歴史学者に「生きたる防壁」と呼ばれた農業移民たちは、関東軍の食料補給をしたり、現地で軍隊に召集されたり、皇国の「聖地」や「赤子」を増やす等、多くの役割を果たした。昭和10年代の満州開拓政策に従った青年たちの妻(大陸花嫁)の体験と歴史的な重要性を明らかにしたいと思う。

『阿呆(アボ)物語』より「或阿呆(アボ)の半生」

David Abbott (Emory U)

あらゆる作品にはそれぞれの時代を生きた世代が表現されています。作家、歌手、俳優等が様々な媒体を用いて表現者としての責任を果たそうとしています。源氏物語や平家物語にまで遡るそうした伝統を受け継ぎ、弐千四年、阿呆物語が生まれました。老若男女全てが個人的な物語を持っているに違いありません。これは私の物語からの一節です。

日本の銀行の特異性

Adam Gerber (Cornell U)

外国人からよく独特であると指摘される日本の金融制度、特に銀行について検討してみたい。まず、日本経済専門の外国人ジャーナリストの文献から外国人側の見方を紹介し、その後、日本人側の意見として、30年間のキャリアを持つ日本人銀行家にさせて頂いたインタビューの内容を紹介したい。最後に、両者の意見を比較して、私なりの印象を述べたい。

紛争解決と武士の自制-中近世移行期における「アンガーマネージメント」について

David Eason (UCLA)

日本史の中では、有名な武士、合戦についての歴史小説やテレビ番組の影響によって、十六世紀が最も暴力的な時代だったというイメージが広められてきた。現在の人々の目から見ると、十六世紀における戦いが残酷で、激しかったのは確かである。しかし、恒常的戦争状態であった十六世紀においても、必ずしも喧嘩と暴力行為が承認されていたというわけではない。権力を握っていた武士は次第に暴力を禁止し、遺恨や憤慨を表す言葉に対して懸念も示すに至った。そして治安秩序を維持するため、恨みに基づいた私的な喧嘩を抑制した。それゆえ、十六世紀の乱世から十七世紀の「太平」への変遷を理解するには、当時の暴力に対する対処の思想と具体的な仕組みについて考察しなければならない。武士の自制と紛争解決との関連を中心に、十六・十七世紀に発布された法律をひもときながら、近世国家の形成と関わっているこの特色を明らかにしていく。

日本手話と音声日本語の相違

Sara Hung (U of Wisconsin)

聾者を主人公としたテレビドラマや手話ニュースなどをきっかけに、手話に対する認識が高まってきた。しかし、あまり知られていないのは、手話には3つの種類があるということである。テレビで見られる手話はほとんどが、いわゆる日本語対応手話である。これは音声日本語の語順にしたがい口話と併用する手話である。いっぽう伝統的手話は、音声言語の文法と違うだけではなく音声日本語と併用することはできない。その二つの間に中間型があり、これはほぼ日本語の語順に従う。書いた文章は両者とも同じ文法を使うにもかかわらず、伝統的手話は音声日本語とは異なる個性的な構造があると考えられる。この発表では伝統的手話と音声日本語の相違について紹介する。

体育教育と日本の近代化-体操と運動会の思想を中心に

Rebecca Nickerson (U of Illinois)

明治維新後、近代的な軍隊を形成するため国民の身体・精神・規律を養成することが必要だと考えられた。明治19(1886)年、森有礼文部大臣の下で小学校令が発布され、「体操」が義務教育の一環として採用された。この「体操」は、欧米の軍隊で行われていた運動を、「兵式体操」として日本の軍隊が取り入れたものに基づいている。明治20年代に入ると、「体操」と共に学校の運動会も全国的な広がりをみせていく。この発表では、体育教育・スポーツはどのように日本の近代化と結びついているのかということを考察する。

相撲協会、もっと四股を踏め!

Wallace DeWitt (Yale U)

近年、「大相撲の人気低迷」が頻繁に論じられるようになりました。財団法人である相撲協会は数多くの問題に直面していますが、その中で最も深刻なのは八百長―相撲協会がいう「無気力相撲」―であると言えるでしょう。我々が大好きな国技の取り組みは馴れ合いの対戦なのでしょうか。部屋制度は諸悪の根源となっているのでしょうか。MLBの歴史を参考に八百長問題を解決するため相撲協会がどのような政策を取るべきか考えたいと思います。

財政投融資

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

小説「野蠻人」

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

大麻は地球を救う-日本の文化と深い関わりのある大麻の有用性

Adam Lobel (UC Berkeley)

大麻とは、社会を脅かし、麻薬中毒者をもたらす物だと戦後の日本社会は信じてきた。実は、学名をカンナビス・サティバ・リンネというこの植物は縄文時代以前より、繊維、食物、建材、薬、更に神社の鈴縄など神事に関わる様々な物として利用されてきた。

大麻のイメージが悪化したきっかけは1948年に制定された「大麻取締法」や占領米軍のプロパガンダだと考えられる。この発表では、大麻が天然資源の枯渇・エネルギー危機などに対する一つの解決策として提案されていることを紹介する。日本人は自国の埋もれた知識と新しい研究の成果を駆使して、持続可能な社会を実現する為に重要な役割を果たせるのではないだろうか。

その英語はおかしい!-日本のポップ音楽における英語の役割は何か?

Marit Hardej (U of Massachusetts)

日本のポップ音楽界で英語の使用が流行している。曲のタイトルや歌詞の一部に英語が使われ,CDジャケットの説明さえ英語で書いてあるものも珍しくない。また、しばしば、アーティストは歌詞の中に英語を使うことを期待されている。そこで、なぜ英語はこんなに力を持っているのか、また、英語の役割は何なのかを研究した。いろいろな作詞家にアンケート調査をた結果、いくつかのパターンが見つかった。本発表では、このパターンについて話したいと思う。

漢脱外入-日本語表記のかわり目

Brian Brookshire (Stanford U)

日本語表記はどういうものだろうか。そして、今後どうなるだろうか。日本語表記は漢字、ひらがな、カタカナといった3つの表記法を用い、世界一難しいと言ってもよい。漢字が初めて日本語に導入されたとき、漢語の言葉も大量に日本語に入ってきた。また、漢字は当て字として日本語の固有語(つまり和語)に適応していった。このため、日本語表記は最初は漢字ばかり用いられていたが、その後、ひらがなとカタカナの開発によって、現代人が馴染んだ「漢字・かなちゃんぽん」へと変化した。今日では常用漢字という活字数制限や外来語の大量摂取によって、日本語の語彙と表記法は全体的に変わりつつある。

現在も「ロンリーウーマン」がいる

Christine Cowgill (UC Irvine)

高橋たか子の「ロンリー・ウーマン」と大庭みな子の「むかし女がいた」は女性の基本的な役割、いわゆる「母」と「妻」に疑義をさしはさんでいます。その伝統的な役割は現代の生活と衝突しており、この作家達はそれをとりあげて批判しています。どうやって女性は幸福を得るのか、という問題意識は、両者の大きい共通点だと思います。今回は、この問題意識についてお話ししたいと思います。

移民受け入れの実状-日本とヨーロッパを待ち受ける課題

Matthias Nyitrai (U of Hawaii)

先進国にとって20世紀から引き継がれた大きな課題の一つは、移民受け入れである。世界における貧富の格差、地域紛争などを契機に、自国を去り、海外でより安定した生活を求める移民の波が次々と先進国に向かっている。

この発表の中心となる日本とヨーロッパは、少子化・高齢化および大幅な人口減少という問題に直面し、その結果、経済の成長率、年金制度などが脅かされている。

長く移民問題に取り組んできたヨーロッパ諸国と異なり、日本では、移民受け入れに対する取り組みや意識がまだ不足している。この発表では、ヨーロッパにおける移民受け入れの歴史を振り返りながら、その問題点を指摘し、今後日本が進むべき道を探る。

現代を聴く-音響と雑音の意味を再考する

Lorraine Plourde (Columbia U)

「現代」という問題を考える時、日常性の変容という特徴がよく学者たちによって唱えられる。特に近代化によって発明されたもの、例えば写真、映画、鉄道などを受け入れたショックや、それらの受容による心的外傷(トラウマ)から、人々の感覚が大幅に変わってきたという指摘もよく聞かれる。しかし人々は、都市空間の音や雑音、即ち工場の機械と大都市生活のリズムを通して出された音にも衝撃を受けたのではないだろうか。本発表では、これらの音響や雑音から与えられた衝撃について、未来派や前衛運動との関係から考察したいと思う。さらに現代日本の雑音に関する実験やサウンド・アートについても言及したい。

会話における相互助詞の機能―「ね」と「さ」の分析を中心にして

Bryce Berger (U of Washington)

先行研究では「ね」と「さ」といった日本語の助詞がモダリティー、情報の縄張りなどの概念に関連づけられ、機能的に分析されている。しかし、こうした研究は会話の相互性を見落としているので「ね」と「さ」が会話でどのような役割を果たしているのかについて、十分に説明できない。本研究では森田(2003)の理論を用い、日本人の実際の会話を分析した。その結果「ね」と「さ」の基本的な役割には様々な機能があり、特に「さ」の場合には会話における不連続的な行動、つまり聞き手が次におこすであろう行動を妨げるマーカーとして使われる場合があることが分かった。これにより「ね」と「さ」の包括的な枠組みを構築することが出来た。

みなとみらい線の発展

Peter Favia (Yale U)

2004年2月1日、「みなとみらい21」プロジェクトは新たな段階に入りました。横浜市民の久しく待ち望んだみなとみらい線が、ようやく開通したのです。このわずか4.1キロメートルの地下鉄は、東京首都圏交通網と比べると大海の一滴のように見えますが、さすが地下鉄だけあって、地下に隠れた事実がたくさんあります。輝きを放つ新たな鉄道駅の後ろには、地元の反対や複雑な決定が隠れているのです。みなとみらい線と名づけられた時点から工事の竣工までを見ると、「みなとみらい21」プロジェクトの一環としての都市計画立案の一部が詳細に見てとれると思います。

荀子の思想

Kurtis Hagen (U of Hawaii)

紀元前250年頃に生きていた有名な儒教の学者である荀子の思想、特に荀子の倫理論に関して、「道」、「理」、「正名」、「禮」や美徳という概念を簡単に説明し、それらの概念の間にどのような関係があるかを検討する。要約すると、「正名」とは道徳に有効なカテゴリー(「類」)を言語へと凝固させることであり、「禮」とは社会の調和へと導く社会的なパターン(「理」)のことである。これらは絶えず模範的な行動によって導かれ、「道」を具体化すると同時に、「道」の方向に関する建設的な議論の基礎を形成する。つまり、「正名」と「禮」は美徳を発達させる手段であり、これらによって育まれた人々の成果である。

横浜の鉄腕アトムからワンピースまで-1950年代から現在にいたるマンガとアニメの変遷への支援

Kukhee Choo (秋菊姫)(U of Texas)

日本において21世紀を導いて行く次期産業だと言われるのはやはりマンガとアニメ、いわゆるコンテンツ産業である。これは日本の大衆文化に対する国際的な認識の向上と、市場における需給の増加の結果である。文部科学省も2000年度の白書において初めて文化としてのマンガとアニメに言及した。つまり、子供の文化だと見られていた以前とは異なり、この産業は新しい段階に入ったとも言えるだろう。このような傾向を考慮すれば、この二つの媒体は日本文化を理解するために非常に重要、かつ有効だと言えるだろう。

マンガとアニメに内在する変化は日本の社会状況を色濃く反映していると思われるため、この発表ではこれまでの日本のマンガとアニメの歴史を1950年代からバブル崩壊後の現在まで概観し、その中に見られる主人公の設定と物語構造の変遷を分析するつもりである。

トヨタ自動車のグローバル経営戦略

Eric Dere (UC Berkeley)

長引く平成不況に日本経済全体が苦しむなか、トヨタ自動車は経営業績を年々伸ばしている。「フォーチュン・グローバル500」によれば、多国籍企業としてトヨタは世界8位であり、日本では第1位を占めているという。品質が高いことでも表彰され、また世界の自動車メーカーの中でトヨタの純利益は一番高く、2010年までにゼネラルモーターズを追い越し、販売台数で世界第1位になると予想される。このような業績が達成できた理由として、トヨタの経営は能率的生産方式の採用をはじめ、積極的労使関係の育成や、海外投資などの面で優れていることを指摘する。

情報化社会の設計-付加価値を付けた生活を

Christopher Kajiwara (U of Hawaii)

デザインと経済の関係は無視しにくいものである。しかし、デザインの目的というのはこれだけなのであろうか。その目的は、重要なことであるにもかかわらず、資本主義を奨励してきたその背景から、デザインは一見軽率で人々の感情を害するものとして見なされてきた。そのため、デザインはさらに深い意味を追求することになった。本発表では、黒川紀章と原研哉という二人のデザイナーの発想を考えることにより、その意味を追求する。具体的には、黒川の「共生」という思想と、原の「EMPTINESS」や「情報の美」という発想の分析により、デザインが付加価値のある生活を生成する可能性を考えたい。

「太陽の季節」

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

日本人の自然観を探る

Avery Fischer (Nanzan U)

「西洋人にも俳句が作れるか?」「日本人にも科学ができるか?」近代になってこのような自然と科学の見方についての質問がされるようになり、西洋と日本とでは自然観の相違が存在することが明らかになった。この相違はまた、様々な分野における交流に影響を及ぼしてきたが、その具体性は捉えにくい。日本人の自然観は西洋人の自然観と比べ、どういう特徴を持つか。これらはどんな形で現れてきたのか。果たして「自然」という言葉は、「nature」と同じものを表しているのだろうか。また、21世紀の優先課題となっている環境破壊に対する関心の高まりに日本人の自然観が寄与すると期待できるであろうか。日本人による文化論と時事的問題に触れながら、分析したい。

IT時代のカラオケ

Deborah Rowland (Stanford U)

8トラックテープとマイクの単純な形で始まったカラオケは現在の込み入った形態へと進歩した。その高度な成長の一因はIT革命である。カラオケの普及のピークは過ぎたが、飽和市場での新しい技術や楽しみ方の導入がカラオケ産業の有望な将来を創造している。

この発表ではカラオケの歴史、技術、そして将来の可能性について述べたい。

「奇想的な絵画」の再考-岸田劉生と神仙思想

Stephen Salel (U of Washington)

三十年前、美術史学者である辻惟雄は、江戸時代の画壇を研究し、六人の画家を「奇人」と判断したうえで、「奇想」というものを日本人の特徴であると宣言した。辻は主観的な解釈により、奇想に愛国主義的で少し病的な意味を付け加えた。しかしこれを再考してみると、奇想は中国から伝わってきた道教の最も重要な「神仙思想」との関係が、非常に強いということが明白になる。本発表では、仙人と神仙思想を簡単に説明してから、寒山と拾得という代表的な仙人を紹介し、江戸の奇人たちが描いた「寒山拾得図」と、大正時代の画家岸田劉生による「寒山拾得図」を比較する。

切手が伝えている物語

Tze May Loo (Cornell U)

切手は我々の日常生活において、欠かせないものである。しかしながら、我々は、切手の存在にあまり気づかずに利用しており、「切手」について深く考えることはない。切手は、ただ郵便で通信するために採用された小さな紙片にしか思われない。それは日常生活の1つの平凡な要素にすぎないと言える。しかし、切手は単なる実用的なものではなく、実に面白いものである。もし切手の存在に注意を払うなら、切手が伝えている物語がみてとれる。これらのいくつかの物語について発表する。

会計ビックバン

Timothy Barry (U of Warwick)

日本の会計制度は高度経済成長の始まりから1997年に行われた金融ビッグバンまでの間あまり変わらなかったと言われる。1997年以降、様々な新しい会計基準が相次いで導入された。一体どのような改革が行われたのだろうか。そしてその改革だけで十分だったのだろうか。2005年、欧州が国際会計基準の採用で会計制度を統一させ、米国と会計調和を目標としていることを背景に、日本の会計ビッグバンについて検討したいと思う。

冷戦下の日比戦後賠償-本当の和解は有り得たのか?

Brian Cathcart (Tufts U)

1940年代後半から米ソの対立が激しくなった。アメリカは共産主義を封じ込めるための砦を日本に作ろうとした。また、元植民地としてフィリピンもアメリカの反共政策の傘下にあった。1951年のサンフランシスコ講和条約によって日本は国際社会に復帰したが、同条約第14条aに日本は占領した国々に対し賠償を行う義務を負うことが記されていた。これをもとに、日比戦後賠償交渉が始まる。この発表では1956年までの交渉を考察し、日、比、米はそれぞれどのような目的を持って交渉をしたのか、日本とフィリピンは本当に和解したのか、冷戦がどのような影響を与えたのか、これらの疑問に答えるつもりである。

日本の新裁判員制度

Samuel Porter (U of Utah)

司法制度改革の一環として、裁判員制度の導入についての検討が進みつつあり、5年以内に実行される見通しである。一般市民が政府に負わされる時間的、金銭的、及び精神的な重い負担は頻繁に話題となっている。しかし裁判員制度がどのように裁判の公平性と正義に影響を与えるかという重要な事柄はそれほど注目を集めていない。そこでアンケートを行い、裁判員制度の必要性、裁判員制度と民主主義との関係、そして裁判員制度によって行う裁判の公平性と正義といった主題について質問した。この発表では、裁判員制度の導入の背景を簡潔に紹介してから、アンケートの結果を報告する。

憲法改正論の流れ-第九条を中心にして

David Wolitz (Yale U)

日本では最近までタブーとも言える状況にあった憲法改正運動が今日盛んになりつつある。現行憲法はこれまで一切、改正されなかったが、今や包括的な改正案が相次いで提案されるに至っている。改憲運動は何を目指し、どのような具体的な改正案を提出しているのか、特に現行憲法の特徴である第九条、戦争の放棄はどのように改正されていくのだろうか。現在の改憲案をいくつか取り上げ、改憲論の現状を検討したいと思う。

桜の春?読書の秋?-日本人の季節観

Sheng Fen Huang(黄聖芬) (Yale U)

四月、着慣れないスーツを着て飲み会に集まっている新入社員、七月、カキ氷を食べながら風鈴が鳴っている海の家でバイトする大学生、11月、枯れ葉がカサカサ舞い落ちてくる神社で手をつなぐ恋人…日本の豊かな季節の変化と、それに合わせた農作業、年中行事、祭りの存在から日本人独特の季節観が生まれると考えられます。また、「季語」を使って俳句を詠むことによって、自然に対する敏感さが養われ、日本人は季節の小さな変化にも美を感じるようになったのではないでしょうか。更に、季節ごとに植物が変わることによって、様々な表現や匂いに対する意識が生まれてきたのではないかと思い、アンケート調査を実施しました。皆さん、私と一緒に、桜の春、読書の秋を味わってみませんか?

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アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター
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