(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
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Kyle Bond (University of Washington)
この発表では宗教学でよく問題とされる「宗教の定義」について紹介していく。特にこの定義の問題を明治の文脈に当てはめ検討する。興味深い点は「レリジョン」という外国語が外交文書に初めて出現した明治時代に同意の和語がなかったため、政府官僚や学者が訳語を試行錯誤した結果、「宗教」という新語を確立した。しかし「宗教」とは単にもう一つの新語であっただけではなく、日本人の社会、組織、考え方を変化させていく輸入概念であった。さらに、最近の研究によるとこの宗教の概念はキリスト教から衝撃的に影響を受けたものだそうである。ゆえに私たちの「宗教」に対する既成概念の再考が必要になってきた。
Fredrick Bowman (Ohio State University)
言語は時が経つにつれて様々な変遷をたどってゆくものだが、日本語もその例外ではない。『源氏物語』や『枕草子』を初めとする平安貴族文学の古代日本語から、院政期にかけて話し言葉の変化が進行するが、説話文学や『平家物語』の各写本にその印が発現するのである。室町時代に入ると、話し言葉が紫式部の時代から数百年を経ていかに変わってきたかを示す口語資料として、狂言、抄物の他に16世紀末のいわゆるキリシタン資料が挙げられる。この中でも殊に『天草版伊曽保物語』と『天草版平家物語』には当時の話し言葉がよく現れているとされており、この書物は日本語の通時的研究に見過ごしてはならない価値を持っているのである。
Daniel Burton-Rose (Princeton University)
東アジアにおいて東京は古典籍に関して特別な場所であるそうだ。と言うのは、多くの古い書籍が東京の様々な図書館に収蔵されていると同時に、神保町という所で、十店以上の漢籍や和書の専門書店が商売を続けているのだ。この発表で、私はまず印刷文化が東アジアでどのように発展したかという問いを論じたいと思う。次に東京にある主な古典籍を紹介して、古典籍の分類問題を話したい。最後に江戸時代に出版された書物を例として、古い書籍に関する書誌学的な専門用語を紹介したいと思っている。
Miriam Cho (Yale University)
隠れキリシタンというのは、日本にキリスト教が伝来した十六世紀以降、徳川幕府に迫害され、地下に潜伏してキリスト教の信仰を守った人々をさします。200年後の明治時代に宗教の自由が確立し隠れキリシタンが再び現れますが、信仰の形は、仏教と神道の要素が採用されてキリスト教から大きく変化していました。その変化の一つの例が、キリスト教の聖母マリアと慈母菩薩が融合したマリア観音という像です。今回の発表では、この二つの女性像の共通点を指摘した上で、隠れキリシタンの大きな変化についても考察します。
Cliff Cohn (Vanderbilt University)
従来、マイクロファイナンスとは、NPO団体が資産を持ってない発展途上国の貧しい人々に、小額の貸し付けをするということであった。こうした事業は、1976年にバングラデシュで創設されたグラミン銀行という最初のマイクロファイナンス組織から比較的短期間で実績を上げたが、近年、困難と批判に直面している。とりわけ議論となっているのは、マイクロファイナンス団体が利益を追求としていいかどうかということである。グラミン銀行の創設者であるマハムド・ユネス氏は、営利マイクロファイナンス団体をローンシャーク(特殊な高利貸し)と非難した。一方で、世界の貧困問題を最も効果的に軽減するために、企業のような経済活動をすべきだという主張もある。利潤追求型の団体と非営利組織を、統計および社会福祉促進の点から比較し、あるべきマイクロファイナンスの形を考えていく。
Alex Coley (Stanford University)
「はげたかファンド」、「乗っ取り屋」、「濫用的買収者」……これらは、現代日本の新しい経済活動に対する言説のキーワードである。本発表では、日米比較を趣旨の一つとし、日本におけるライブドアショックが代表する敵対的M&A時代、並びに80年代米国のウォール街における金融革命をめぐる法的・文化的言説を紹介し、分析する予定である。
世論調査の結果を通じて一般の人の考えを測ることではなく、敵対的M&Aとその防衛策の妥当性に関連する判例を分析のメイン主体とし、幅広い意味で経済活動やお金を儲けることに対する考え方を理解できるように進んでいきたい。判決以外にも、メディア、ニュースなどで飛び交うアメリカ型資本主義へのステレオタイプにも注目する。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Allison Darmody (Indiana University)
富山県の立山は、登る山であるのみならず、歴史的に聖地として信仰の対象にもなっていました。私の発表では立山の地獄に関する説話を分析し、それを通じて平安時代の宗教の情勢の変化について話します。特に、『法華験記』及び『今昔物語集』の話を取り上げます。その話は、立山の地獄に堕ちた女性が生前の数少ない善行を理由に菩薩に地獄の責め苦を軽減してもらう話です。この話以前の古代の信仰制度はどんなものなのか不詳ですが、平安時代以降、立山の「地獄」は仏教のものになり、さらに、時代が下ると、熊野の修験道の影響を強く受けるようになります。この変化は平安期における都の宗教的環境の変化を鏡のように反映すると考えます。
Thomas Derbish (Williams College)
翻訳家を目指している私たちは筒井康隆の『乗越駅の刑罰』と『新宿コンフィデンシャル』という短編小説の翻訳に挑戦しました。この作業に取り組むことによって、小説の翻訳における様々な特定の問題に目覚め、それらを乗り越えるにはどのように工夫すればよいのかと考えさせられました。翻訳の過程を通して、作家の意図を正確に把握し、原作の精神を保ちながら目標言語の読者がじっくり楽しめる翻訳を制作することの苦労、そして喜びを実感できました。
Elliott Eaton (Yale University)
本発表では、明治維新を巡って、「男らしい」とされた行為は何か、そして明治政府は国家形成のためどのように男性像を定着させ利用したかについて考察を行う。
明治以降、侍という身分が解体されたにもかかわらず、20世紀を迎えるところで、侍の神話(つまり、日本ならではの男らしさ)がプロパガンダのような形で作りなおされた。侍のイメージを利用するという国家的な宣言は、日本臣民に値する男性像を定着させて近代日本の国家に貢献したわけである。野蛮と思われていた要素が慎重に取り除かれた侍のイメージは、大日本帝国に役に立つ男の象徴として活用された。
本発表では、薩摩藩に特に特徴的な「男色」という男同士による性行為、時代に即した男性像はどのようなものであるべきかという議論、そして作りなおされた侍のイメージを利用した国家的な宣言などについて詳しく述べていきたい。
Eike Exner (University of Southern California)
視聴覚メディア翻訳理論とは何か。本発表では文章の翻訳と視聴覚メディアの翻訳との相違について説明したうえ、視聴覚メディア翻訳固有の問題を考慮していきたい。視聴覚メディア固有の問題は、翻訳不可能な非言語的要素、言語的要素と非言語的要素との密接な意味関係、意味する要素の氾濫と選抜の必要性、という三つの範疇に分類できる。各範疇ごとに具体例を提示して視聴覚メディア翻訳の問題について簡単に説明する。
Matthew Fellows (University of California, Los Angeles)
日本では、1950年代の第二次世界大戦に関する多くの映画が、人間の大切さに関連するヒューマニスト的な価値を通じて戦争と軍国主義に反対するメッセージを伝えた。映画では、戦争が行った複雑な状態を描くのではなく、人間性を中心とする反戦メッセージによって、日本人を無意味で不毛な戦争の被害者として描いている。木下恵介監督の「二十四の瞳」(1954年)は、日本人を戦争と軍国主義の被害者として描いた代名詞的作品である。
本発表では、「二十四の瞳」の分析を通して、映画の中の生徒たちの無垢で脆弱な子供としての描き方が戦争中の行為に対する責任をどのように否定したのか、また戦争の状態をどのように単純化したのかについて述べる。
Paul Ganir (Stanford University)
日本語学習において字形、字音、字義という三つの情報を持っている漢字が最も困難である点と言われている。そのため、とりわけアルファベットまたは別の文字体系を習った非漢字系学習者に対して漢字という壁を乗り越えられるように様々な漢字指導がなされてきた。一方、最初に漢字の知識がない日本の小学生にもその壁が存在しているものの、全員が漢字を使いこなせるようになる。本発表では非漢字系学習者向けの漢字指導の教材と日本の小学校で使用されている教材の比較を通してより効率的な学習法は何かを探ってみる。
Carl Gellert (University of California, Berkeley)
発掘された古墳時代の墳墓の中で、キトラ古墳と高松塚古墳が特異である。発掘時、考古学者はその古墳の石室の壁や天井に人間・動物の姿・星座が描かれているのを見つけた。キトラと高松塚は8世紀初頭に作られたと考えられ、壁画の技巧の質が6−7世紀の墓葬図像より高い 。それに、キトラと高松塚の壁画は大陸の作画技法と信仰に関する図像を示している。現在の研究はその絵画のルーツと保存対策に強調している。しかし、キトラと高松塚の研究をさらに深めれば日本の7世紀の文化はもっと分かるようになる。本発表では、特にその壁画の分析で大陸から導入された道教や仏教の画像がどのように日本の葬送儀礼の習慣に採用され、どうやって伝統的な死、つまりあの世の理解に影響を与えたかがもっと明らかになるであろう。
Megan Gilbert (Yale University)
日本の戦国時代には、人間関係が政治や外交に大きい影響を与えた。人質が多く交換されたが、人質という言葉を使わない「嫁」や「養子」も実は人質の役割を果たした。 この「人質としての婚姻・養子関係」が戦国時代の有名な政略結婚の一部に見える。そのような人間関係を研究すれば、戦国時代の家族に関する価値観だけではなく、統治の戦略も分かると思う。戦国時代末までに、秀吉・家康が平和と自分の力を守るために、自由に結婚・養子縁組をすることや勝手に人質を獲得することを禁止したので、当時の支配者は縁組の力を理解していたようだ。彼らの時代を理解するために、私たちも考えるべきだ。
Ryan Glasnovich (University of Illinois)
歴史上、全ての政府は社会の秩序を維持する事に取り組んでいた。江戸時代(1600~1868)の徳川幕府も例外ではなく、江戸幕府は重要な都市に警察制度を創設した。大坂の例では、武士を利用した制度を設置したが、武士の数は十分ではなかった。そのため、社会から追放された人々が幕府の為に様々な重要な役割を担った。「非人」と呼ばれる、これらの人々は秩序を維持する為重要な役割を果たしたのであった。
April Goehrke (New York University)
江戸川乱歩はエドガー・アラン・ポーの語呂をとった平井太郎のペンネームです。1894年に生まれ1965年に亡くなった乱歩は推理小説作家として有名ですが、推理小説だけでなくグロテスクな短編小説や児童文学も書きました。明治時代から昭和時代まで生きた乱歩は現代でも人気がある小説家なのですがそれはなぜしょうか。乱歩の今でも輝きを失わない魅力は何でしょうか。それは、その小説の語り手(つまり、乱歩自身)と読者の間の関係性によるのかもしれません。今日は乱歩の語り手としての魅力と読者の憧れについて発表させていただきます。
Kristi Govella (University of California, Berkeley)
この発表では、日本の外交政策立案過程の中で国内政治と外圧との関係について議論する。日本は受動的でアメリカからの外圧だけに対応して政策を変える国家だと思われることが多い。しかし、学者たちが示してきたように、いわゆる「外圧」が日本の国内アクターによって道具としてしばしば使われている。本発表では、この現象の例として、ソフトウェア知的財産権の規制の交渉を挙げた上で、私の将来の研究計画を概説する。日本の外交政策交渉に関する研究によって、日本の変化しつつある国際的な役割、及びグローバル化した世界での政策立案の過程を理解することが可能となるだろう。
Mofiz Haque (Stanford University)
2008年に行われた経済連携協定を踏まえて、インドネシアからの看護師が来日し、さらに翌2009年にはフィリピンからも看護師が訪れています。日本の病院で働きながら、日本の看護師試験合格を目指しています。これに合格すれば、在留資格の取得が可能になります。しかし、病院で仕事を始める前に六ヵ月間の日本語の学習が要求され、その後、受け入れ病院で働きながら看護師国家試験に向けた学習を続けることになります。すでに公表されていた日本語学習のカリキュラムに基づく国家試験の実施結果が報道されましたが、これらを見ると、看護師に求められる日本語技能を獲得するうえでの障害が浮き彫りになります。この発表では、いま話題になっている海外からの看護師に対する日本語教育の現状と課題について考えます。
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Laura Inch (Tufts University)
妖怪というのは元来日本の昔話や神話に出てきた伝統的な化け物のことで、よく訓話の中や自然現象を説明するために使われてきた。しかし、現代では小説や映画、そしてアニメや漫画から学者の研究や展覧会に至るまで、いわゆる妖怪ブームは社会の様々なメディアの中で起こっている。なぜこの恐怖や未知を表す不思議な妖怪が現代社会でも魅力があるのだろうか。この発表で私が提示したい理論とは、妖怪の誕生と増殖が現代におけるアイデンティティ危機を反映しているというものである。定義しにくい神秘的な物であると同時に人間の心と想像力から生み出された妖怪は分かりにくい自己や見つけにくい自己のアイデンティティ危機を表していると論じる。
Justin Jeffress (California State University, Northridge)
コンピューターとは、20世紀で最も重要な役割を果たすモノの発明であり、日常生活において非常に大きな衝撃を与えたものだと言われている。しかしながら、現在の言語翻訳ソフトに、短くてシンプルな文章以外を入力すれば、全く違う無意味な応答が返ってきてしまう。もし私が一般人なら、なぜそのような反応があるのだろうかと考え込んでしまう。しかし一方で、ソフトウェアの開発者としては、その問題をきちんと解決したいと思っている。ソフトウェアの開発者の仕事のかたわら日本語を勉強してきた経験を通して、日本語とコンピュータ言語は共通点が沢山あることに気がついた。そこで、現在より正しい言語翻訳ソフトを開発する方法の仮説を立てることを思いついた。本発表では私が立てた仮説を紹介したい。
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Michael Kushell (University of California, Berkeley)
「儀礼」と「芸能」というものはそれぞれある史的展開の原点と帰結としてよく理解されます。この説によると、ある共同体の中で行われる慣習的、または宗教的な「儀礼」が、第三者的視点とそれに伴う「鑑賞」や「評価」の追加により「芸能」へと変化します。本発表では、いわゆる地芝居、すなわち地方の祭りで演じられる歌舞伎を「儀礼」か「芸能」という範疇に容易に分けうる、静的な環境ではなく、むしろその間のスペクトラムの中で常に推移しつつある動的なシステムとして捉え、演目とそれらを特徴付ける演出自体がこの過程においてどのような機能を果すかを検討します。
Glenn Lashley (University of Michigan)
翻訳家を目指している私たちは筒井康隆の『乗越駅の刑罰』と『新宿コンフィデンシャル』という短編小説の翻訳に挑戦しました。この作業に取り組むことによって、小説の翻訳における様々な特定の問題に目覚め、それらを乗り越えるにはどのように工夫すればよいのかと考えさせられました。翻訳の過程を通して、作家の意図を正確に把握し、原作の精神を保ちながら目標言語の読者がじっくり楽しめる翻訳を制作することの苦労、そして喜びを実感できました。
Sonia Livdahl (Wesleyan University)
ヘッジファンドのような投機的な商取引はよく「欲深くて、利己的な金融危機の原因」と言われています。例えば、1997年のアジア金融危機などです。また、ヘッジファンドは「博奕打ち」とよく比較されたりしたりします。一方で、ヘッジファンドは慈善団体のように、得た利益を献金したり寄付したりしています。現在のヘッジファンドの3分の2の資金は、年金や大学の基金、あるいは非営利団体の基金から来ています。そして、危機の原因と言うより、むしろヘッジファンドは市場や経済制度の弱点を明らかにする役割を果たしている、という意見もあります。この発表では、ヘッジファンドは社会的に付加価値を生む役割を果たしている。さらに、具体的にどのように付加価値を生んでいるのかについて議論したいと思います。
Chrystel Marincich (Vanderbilt University)
現在、毎日デジタル社会に住んでいる私たちは自分についての情報をグーグル、フェイスブック、オンラインショップといったウェブページなどに提供しています。多くの人は今やネットの世界で毎日の生活を送っていますが、これによって政府をはじめとして、メディア、企業などが私達の情報に簡単にアクセスをしてもいいということになるようです。その結果、様々な問題が生じ、ことにプライバシー権に関わる問題が表面化しています。本発表では技術の発展が法律上どのようにプライバシー権に影響を与えているのかという話題について分析し、そしてこれからプライバシー権がどのように変容するのか予測します。
Brian Mayer (University of Washington)
他の先進国と比べると、海外から日本への直接投資は非常に少ない。これはなぜだろうか。戦後直接投資に対する規制が緩和されたが、日本はもはや魅力的な市場ではなくなったということがしばしば指摘されている。日本政府は海外からの直接投資を促進する方針をとっているが、円高、人件費などのコスト、さらにビジネス異文化という要因を考えると、日本は直接投資の対象としておいしい国ではないのである。
Keita Moore (Colorado College)
アメリカ同時多発テロ事件は、米国を「敵」と見なすアルカイダによる攻撃である。9.11の黒幕オサマ・ビンラディンの射殺は、テロの消滅を生じさせる殴打に等しいとされている。しかし、テロリズムはただ一個人の悪意・悪行であるのみならず、イデオロギーの発現なのであり、国家主義的な志向に立脚するものだ。この観点に立つと、国境を越えて全イスラム圏をまたぐアイデンティティーを確立するという志向と、それを「敵」である他の地域から差別化するという志向、その両者がテロの根底に存することが把握できるであろう。それ故、テロを撲滅するための第一段階として、こうした「新型ナショナリズム」への理解に重きを置くことが不可欠なものとなるのだ。
Colin Moreshead (Wesleyan University)
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Samantha Netzley (Ohio State University)
よく耳にする言葉の由来をご存じですか?言葉の歴史を知らないまま使っていませんか?語源は一見重要ではないように見えますが、長い歴史や様々な文化と関連していて大変興味深いものです。それを知らないことは、もったいないことですし、言葉が可哀そうです。この発表では、様々な例を挙げながら言葉の意外な成立ちをご紹介します。少しでも語源に関心を持っていただければ幸いです。
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Shelby Oxenford (University of California, Berkeley)
関東大震災の後、菊池寛は「芸術を考える余裕がない」と書いたが、この言葉は今も当てはまるだろうか。災害後に発表される、災害そのものやその直後の状況を捉える文学や音楽などの役割は何だろうか。3.11の大震災、津波そして原発事故という3重の災害の後の1年間も、創作的な応答はあふれ出るほどに試みられた。それは、伝統的な方法で出版されたチャリティー文学のプロジェクトや、新しい媒体であるユーチューブとツイッターにアップされた抗議の歌や詩などである。本発表は、伝統的な媒体の作品と新しい媒体の作品における「距離」の問題と、「現実」の把握をめぐる問題を検討する。そして、「倫理的に」災害を捉えるとはどのようなことか、という問題も考察する。
Kate Robinson (Columbia University)
1920年に、文学者の佐藤春夫は植民地であった台湾を旅行し、その経験について『霧社』という旅行記を書いた。当時、台湾の先住民達は日本の政府からひどい扱いを受けていた。これは暴力的な反逆の原因にもなった。『霧社』は佐藤春夫の植民地主義に対しての複雑な気持ちを表している。佐藤は植民地の状態を客観的に描写しようとするが、植民地制度に参加している自分の役割は認めたくないようである。本発表では、植民地主義の問題を敏感に取り扱っているこの作品は翻訳する価値があると述べる。『霧社』を分析し、佐藤の葛藤と二人の先住民の女性との出会いに特に注目したい。
Katherine Sargent (University of Michigan)
津田梅子が渡米した約30年後の1899年、女子体育学を研究するために、井口阿くりという29歳の女性が文部省によりアメリカに派遣された。井口は当時の8名の女子留学生の一人だっただけではなく、日本最初の体育に関する文部省留学生でもあった。スミス大学で勉強した一年間を含む計三年間をアメリカで過ごし、帰国してからは日本の女子体育の先駆者となった。井口の歴史的な貢献を理解するために、この発表では女子教育の発展における女子体育の影響を検討する。その過程で、アメリカと日本の国家主義的な考え方がどのようにこの発展を促したのか、また教育者はどのように当時の女らしさの概念と男らしさの象徴だったスポーツなどとを調和させたか、ということにも触れる。
Joshua Solomon (University of Chicago)
民俗学者及び世界民俗音学研究者が日本の民謡を収集して分析する活動はどの様な意味を持つのか。そして地方の人間が同じ活動を行うと意味が変わるのか。この発表では東北民謡についての出版物を考慮しながらこの問いに、つまり行為者、権力とその対象はどの様な関係があるかということについて答えてみる。民謡の様な「民俗」と緊密に結びついている複雑かつ不平等な力関係を「中心対周縁」の概念的枠組みとして描き、そのパラダイムの不十分な箇所を指摘し、新たな布置の方向を提案する。
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Caroline Anne Sundermeyer (University of Southern California)
現在、海外の企業が通年で採用を行っているのに対して、日本の企業のほとんどが春季新卒一括採用を行っている。しかし、東京大学が検討し始めた国際標準となった秋入学への移行や少子化などによる国内市場の縮小の見込みに伴い、企業が国際競争に勝ち残るため採用時期の変更を迫られようとしている。
本発表では、大手衣料品チェーンの「ユニクロ」が乗り出した「通年採用」という大胆な採用活動を一例として挙げながら、日本の採用制度はどのように変わっているかについて検討する。そして、就職活動をした私自身の経験を踏まえて、ユニクロが乗り出したような採用制度改革の必要性や有効性に関して議論する。
Vincent Tan (Columbia Law School)
プライベート・エクイティ・ファンドは、買収した企業の資産売却や事業改善などを行うことによって価値を高め、できるだけ高く売却しようとします。この最終段階は「exit・エグジット」と呼ばれています。通常、ファンドは投資前に売却手法や売却タイミングなどを計画しておきます。退場方法には主に三つの選択肢があります。つまり、(1)新規株式発行(IPO)、(2)第三者への売却、(3)デュアルトラック、の三つです。この発表では、これらの選択肢を比較検討して、ファンドは戦略的に優位に立てることから、デュアルトラックを選ぶ傾向にあることを明らかにします。
Joseph Tolsma (University of Michigan)
人類は現在新たなエネルギー源を必要としている。従来の化石燃料を輸入する国々は供給の制限や輸出国の政情不安に関わる問題に直面しており、また福島第一発電所での事故以後、原発の廃止を望んでいる人の数は少なくない。そのため、再生エネルギーの準備が十分にできるまで、人類は他の方法でエネルギー問題に立ち向かわざるを得ない。
その選択肢の一つはメタンハイドレートというものだ。この氷のような物質は海底に存在し採掘しにくいが、溶ける時に自然に純粋のメタンガスが放出される。それだけでなく、日本などの石油輸入国の領海で膨大な埋蔵量が発見されている。採取の困難が乗り越えられれば、メタンハイドレートは理想的な暫定エネルギー源になるであろう。
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Richard Turner (Stanford University)
本発表は、伏見憲明の編集による雑誌「クィア・ジャパン・リターンズ」におけるゲイコミュニティの概念化を検討する。「クィア・ジャパン・リターンズ」においては、コミュニティの状態、要素、あるいは特徴が頻繁に取り上げられている。こうした言説から、この雑誌の関係者にとって「コミュニティ」という言葉の意味と重要性そのものが懸念の対象だということが窺える。しかも、「コミュニティ」を取り巻く議論を通じて、コミュニティという意識は日本における男性同性愛者が直面している様々な社会的問題に取り組むために必要不可欠なものだという視点が浮き彫りとなってくる。このメディアはコミュニティを反映しながらそれを構築しようと試みるものであるというのが本発表の主要論点となる。
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John Wheeler (University of Illinois)
日本の若者たちはこの失われた二十数年の泥沼の中で、どのような態度や姿勢をとってきたのか。このトピックに応じて私は現代日本文学と映画から若者に関するさまざまな描写を抽出してきた。村上春樹の『アフター・ダーク』では、都心の一晩がこの二十年の比喩になっており、夜明けとともに主人公の若者二人が前に進む覚悟を決める。他方、黒澤清の『アカルイ・ミライ』では、自堕落な生活を送る主人公が希望も目的もない道を歩き続ける。その両極の間で青山七重の『ひとり日和』の二十歳の主人公が、変化のない無意味な人生を送る。これらの舞台であると同時にある意味でキャラクターとしての役割も果たす東京は、それ自体がこの三つの作品を結ぶ糸になっているであろう。
Justine Wiesinger (Yale University)
2011年3月11日の東日本大震災、津波、そして原発事故で、日本は大打撃を被った。日本は震災や他の問題にどのように対応するのか。災害を受け、2011年から2012年にかけて上演された6本の芝居を見ると、それらの描く問題意識には共通点が少なくない。特に、時代を逆行して昔へ戻りたい傾向が見出された。逆行への傾向はなぜ現れたのか。近代化以前のあり方への逆行は可能か。或いは、そもそも災害の前の状況の完全な復旧などあり得るのか。あり得るとすれば、それは望ましいことだろうか。あり得ないとすれば、どのような対応をすれば良いのだろうか。
Teresa Younker (New York University)
1990年代の後半にゴシック・ロリータ(ゴスロリ)と呼ばれているファッションが日本全国に出現した。ゴスロリの少女たちは既存の、子供らしい無邪気なロリータ・ファッションと無彩色、薔薇、十字架、蝙蝠等のゴシック趣味の要素を融合したスタイルを身にまとっている。この組み合わせは矛盾していると思われるかもしれないが、ゴスロリの信奉者にとって、ゴスロリは新ロマン主義的な「幼年時代」の概念から癒しを得る手段であると同時にジェンダー、社会的役割、アイデンティティに関する社会規範に抵抗するための方法である。