Brian Baker (Ohio State University)
本発表では琉球人起源説と琉球語起源説の研究を概観し、両者の関係を探る。最初に埴原(1990等)の日本人二重構造説を紹介する。これは日本人は東南アジア方面からの移住(縄文人)とその後の北東アジアからの移住(弥生人)によって成立し、琉球人は縄文人の直接の子孫であるとするものである。また現代琉球人が縄文人の直接の子孫ではないとする安里と土肥(1999)の琉球人起源説も紹介する。最後に、安里と土肥の研究を受けたセラフィム(2003)とペラール(2012、2013)の琉球語起源研究を考察し、琉球語起原研究と日琉祖語の研究において留意すべき問題を挙げる。
Wayne Baylor (Yale University)
アベノミクスという20年間の経済低迷から脱却するための政策では、三本の柱が中心となっています。それは、第1の矢:量的金融緩和による金融政策、第2の矢:機動的な財政政策、第3の矢:規制緩和・構造改革による長期的成長戦略です。第1と第2の矢は成果が比較的見えやすいですが、第3の矢である成長戦略は様々な分野において改革が必要であり、政策実現にも時間がかかるため、成果が予測しにくいと言えます。この発表では、第3の矢の基本的な考え方と、これまでの進捗状況、特に国家戦略特区と年金積立金の改革についてお話ししてまいりたいと思います。
Cole Carnesecca (University of Notre Dame)
19世紀以前、中国も日本も神と関係がある皇帝・天皇がいましたが、20世紀に入る時に日本だけその制度を守りました。「近代」国家を設立する時、この二つの国は違う「宗教的モダニティ」を形成したのです。この発展路線の違いは宗教的モダニティの多様性を表しています。発表では、中国と日本の宗教的モダニティについてお話ししたいと思います。まず最初に「宗教的モダニティ」という概念を定義し、次に中国と日本の近代化過程における宗教の役割を説明し、最後に宗教的モダニティと現代の状況はどのような関係があるか考えるという順でお話しします。
Sarah Carothers (University of San Francisco)
ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンは「ホビットの冒険」と「指輪物語」の著者として世界中で有名です。よく「現代のファンタジー文学の父」として考えられていて、彼の作品はアニメ、ミュージカル、そしてハリウッドでも映画化され人気を博しました。2008年には、英国の新聞、「ザ・タイムズ」の「1945年からの英国のトップ作家」のベストテンにランクインしました。しかし、ファンタジー作者であるばかりでなく、トールキンは画家、詩人、文献学者でもあったのです。この発表ではトールキンの文献学者としての著作物についてお話しします。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Jason Douglass (Yale University)
最近のデジタルアニメーションは、写真技術により近づくことを目的としている。しかし、実際の人間と変わらないような登場人物が制作されることは困難になっているので、時として視聴者が登場人物に不気味さを感じてしまい、興行成績が悪くなってしまう現象が見られる。このことを森政弘東京工業大学名誉教授が論じた「不気味の谷」という理論を基に分析し、デジタルアニメーションは今後どのように進歩するのが良いかということを考察した発表である。
Jesse Drian (University of Southern California)
厳島神社は平氏の氏神であり、平清盛の後援により有力な霊場になったことが知られている。しかし、平家滅亡以後、なぜ厳島神社が存続できたのかはまだ明らかではない。本発表では、鎌倉幕府、儀礼に関する史料を分析し、平の時代に行われた儀礼を大きく変化させなくても必要な政治的、経済的な支援を受けられたことを示す。そして、鎌倉時代、厳島神社の繁栄が継続したのは、もともと国家鎮護の軍神が安置されたためだと考える。
Justin Flores (Cornell University)
企業の発展と共に労働の形態が変化する傾向が見られる。デスク・ワーカーの労働者は、肉体労働者とは異なり、一日中机でコンピューターを使う。こうしたことから、企業は、社員の新たな労働形態を踏まえ、デスク・ワーカーに現れる健康問題の対策を講じなければならない。本発表では、企業は事後対応によるのではなく、予防による健康維持のプログラムを採用する必要があるということについてお話しする。
Kaitlin Forgash (University of Washington)
平安時代に女性の政治権力はなかったとよく言われます。確かにその前の時代と比べて弱くなったと言えるかもしれませんが、全く力を持っていなかったというわけではありません。この発表では特に二つの例に注目して、平安朝廷における女性の政治的な役割について紹介します。一つの例は「国母」、つまり天皇の母の政治的な影響、もう一つは藤原道長の娘彰子の果たした役割です。
Nicole Go (University of British Columbia)
日英バイリンガル小説『私小説 from left to right』(1995) の著者である水村美苗は、この小説は英訳できないと主張している。英語は普遍的な共通語であり、他の言語との関係が非対称的になっているため、この小説を英訳したらその立場を無視することを意味するからだと思われる。言語的なヒエラルキーに反抗している水村は、ある国の文学という概念で捉えるのではなく、国境を越えて、トランスナショナルな枠で捉えていることを発表で考察する。
George Gonzales (University of California, Santa Cruz)
ある社会学者によると、日本は1970年代から90年代にかけて、いわゆる「舞台化」を経て「脱舞台化」という社会的現象を迎えたという。例えば1970~80年代のテーマパークや渋谷に代表される都市において、人々はその空間の登場人物にふさわしい、与えられた役割を演じつつ、もう一つの「現実」を経験する傾向が見られたというのである。そして90年代に入ると、このような舞台性は減退し、それらの空間は現実世界との繋がり、あるいは実用的な性質を示すようになったという。しかし、都市ではなく、地方の空間に新設された「脱舞台化」後のテーマパークはいかなる存在と見るべきあろうか。この発表では、姫路市の太陽公園に焦点を絞りながら、地方における娯楽、社会構造、そして資本の流動などの諸課題について考えてみたい。
Benjamin Huynh (University of Southern California)
日本はイノベーションが乏しい国として知られている。ウォークマンのようなすばらしい発明はもはや過去のものとなり、その後は失われた20年となったと言われる。しかし、イノベーションを保護する特許と日本の関係からみると、異なる歴史が浮かび上がる。それは、戦後の努力、80年代の国際的な競争を経て、世界で最もイノベーティブな国の一つに至る物語である。
William Kyle Jackson (Duke University)
近年、日本における職務発明に関する訴訟が増加している。職務発明とは、従業者がした発明のうち、業務の範囲に属した発明を指す。青色発光ダイオード事件を例にとれば、裁判所は発明者に前代未聞の補償額を支払うよう会社に求めた。その後判決で示される補償額が大きくなっていくことを踏まえて、2005年に職務発明を定めている特許法35条が改正された。これに従って、日本の企業は特許権の扱い方について見直すべきだと考えられる。この発表では、日本の職務発明の制度を分析し、特許を受ける権利について青色発光ダイオード事件を例として取り上げる。そして、この裁判所の判決の影響下で、日本の企業がどのように訴訟を避けようとしているのかを説明する。
Alma Jennings (Wellesley College)
東日本大震災から三年が過ぎましたが、復興はまだまだ難しいと言われています。どうすれば東北は活性化する可能性があるのでしょうか。その答えは文化の復興にあると思います。この発表では震災直後報道された江戸時代から伝わる伝統芸能「虎舞」の役割と、復興支援のためのファンド(企業メセナ協議会など)について発表します。復興のために企業の投資や雇用も重要ですが、壊滅したコミュニティーをつなぐきずなとなる伝統的な文化と芸術の貢献について焦点をあてます。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Leah Justin-Jinich (Carleton College)
喜多川歌麿画「北国五色墨」(寛政6年、1794年頃)は吉原遊廓の遊女五人を描写した他に類を見ない錦絵のシリーズである。一連の作品の特色は、高級な遊女のみならず、もっとも卑しい下級の遊女も描写されていることである。シリーズの主要素を見比べることを通じて、いかにして遊女の評判による格付が視覚化されるかについて解説してみたい。さらに「北国五色墨」は美人画というジャンルに該当するというよりも、むしろ吉原の案内書であるという側面もある。発表では、遊女の衣装や髪型、肌の見せ方などの視覚情報が、参勤交代の江戸詰めの「田舎侍」に対して、粋を身につけさせる装置になっていたことについて考察したい。
Jakub Kowalik (Yale University)
漢字は日本語を書き表すのに、非常に不適切なので、漢字を廃止しなければならないと信じている。現代の漢字の使い方は中国語の文書を翻訳せずに日本語で読むため作られた無理やりな制度の遺産である。日本語の話し言葉と中国語の書き言葉が一緒にされてしまったことによってもたされた問題点は多くあげられる。例えば、読み方が不明な言葉が多く、目で見れば意味は分かるが、耳で聞くと分からない単語も多い。しかも、漢字の学習によって日本の子供は膨大な労力を要する。漢字を廃止することによって、より使いやすくて、分かりやすい日本語を提案する。日本語を漢字から独立させるとともに、日本語を民主化したり、日本の競争力も上げたりすることが出来るはずだ。
Christopher Lewis (University of Colorado, Boulder)
『四畳半神話大系』とは、直木賞を受賞した森見登美彦の小説をアニメ化し、2010年に放送された作品である。本発表では、『四畳半神話大系』はアニメという視覚的な媒体を通して、さまざまな技法を利用し、パラレルワールドが描かれていると指摘する。また、視聴者が主人公とともにそのパラレルワールドをどのように受け入れるのかを解説し、主人公のアイデンティティーの発見、周囲の人々との関係理解について、パラレルワールドを用いて述べる。
Mia Lewis (Stanford University)
漫画では漫画特有の文字表記を通し、物語が語られていると考えられる。そして、これらの文字表記をいくつかのカテゴリーに分類することが可能だ。この発表では三つの表記方法を分析する。それはフォント、カタカナ、当て字という表記方法である。このようなカテゴリーは金水敏が定義した「役割語」のように、漫画に登場する人物の性格などを示す。それから、漫画の中の世界を創造する役割も果たす。そして、文字の表記を変えることを通し、漫画の絵や吹き出しの構造も変容させる。日本の多くの子供や青年がこのように日本特有の様々な文字の表記を巧みに使用する漫画を読み、日本語の可能性を学んでいると考えられるのではなかろうか。
Joanna Linzer (Harvard University)
「惣村」とは、中世の近畿地方における支配層の権力の及ばない、いわゆる自治的な「ムラ」のことである。「惣村」まで遡ることのできる近畿の「ムラ」と、関東の「ムラ」とを比較すると、年中行事の運営における社会組織などに相違点がみられる。日本は国民国家の政策などにより単一性を帯びていくと同時に、多様性も進展していく。本発表では、中世の「ムラ」が表象している社会的な身分制・地域性による多様性が進展し、現在の日本にも存在していることを述べる。
Casey Martin (University of Colorado, Boulder)
石川光陽は1904年福井県生まれの警察庁専属のカメラマンである。1927年21才の時から1963年57才に至るまで36年間カメラマンとして活動した。まさに戦前・戦中・戦後の東京の姿を写し続けた人物である。とくに1945年3月10日の東京大空襲の現存する写真は、ほぼ石川氏の撮影によるものである。敗戦後、石川氏はGHQ(連国軍総司令部)から空襲の被害を写したネガフィルムを提出せよという命令を受けたが、頑なに拒否し続け、押収されるのを防いだ。石川氏の懸命な努力によって守られた、歴史の証言者としての写真は、東京大空襲の惨状をありのまま今に伝えている。しかし、こうした事実は一般にあまりよく知られていない。本発表では、石川光陽が撮影した貴重な写真を見ながら東京大空襲の真実について考えてみたいと思う。
Kim Mc Nelly (University of British Columbia)
平安時代以来、女性によって書かれた宮廷文学が何作か残っているが、その中で唯一、当時の戦乱について直接言及している作品がある。それが「建礼門院右京大夫集」である。筆者の右京大夫は、源平の争いの前は、平徳子(後の建礼門院)に仕え、平資盛と恋愛関係にあった女性である。この作品には、源平の争いが勃発してからの、資盛や平家一門の滅亡や、資盛への追慕、またそれに関する悲哀が記されており、その執筆意図については、多くの研究者によって議論が成されている。この発表では、右京大夫の執筆意図に関する先行研究についてまとめると共に、従来の研究では注目されてこなかった筆者の社会的・政治的視点を考察し、さらに今後探るべき研究課題を指摘する。
Rebecca Mendelson (Duke University)
禅仏教に関する研究の中に、とりわけ1990年代以降、従来の禅仏教認識や研究に批判的な傾向が見られるようになりました。この批判的傾向は、仏教理解に対する批判や研究の認識論や方法論への批判です。例えば、どのように禅の指導者が禅の教えを理解し用いたか、あるいは歴史的な背景が宗派などの用いるレトリックにどのように影響を与えたかなどを再検討すべきであるといった議論が活発に行われるようになったのです。発表では、これらの批判の代表的な例を紹介し、欧米や日本における影響を検討したいと思います。
Nicholas Ogonek (Bard College)
ロンサム・ジョージは最後に生き残ったガラパゴス諸島のピンタ亜種のゾウガメとして有名だった。2012年、ロンサム・ジョージがゾウガメ天国に召されると、希少な亜種は絶滅した。研究所の所員は様々な繁殖の対策を試してみたが、ロンサム・ジョージは自分の亜種の存続にあまり興味を持たず、ただ檻の中で葉を食べながら、自分の運命を待つだけだった。ロンサム・ジョージはなぜダーウィンの説のように繁殖に駆られなかったのか。本発表では、ロンサム・ジョージを例に挙げ、動物の精神と人間の動物に対する感情移入について述べる。
Haruna Otsuka (Barnard/Columbia University)
物語は一体何によって面白く感じられるのだろうか。テレビではスリルのある事件をテーマとしたドラマの人気が高く、小説でも同じく死や不倫といった劇的な題材が多いが、そのような極端な出来事が物語を面白くするのだろうか。逆に、現実により近い日常の場面を描いた物語は、なぜ重く極端な出来事が起こらないにも関わらず、面白く感じられるのか。本発表では、日常的な物語の面白さは何に基づいて生まれるのかを追求するべく、さくらももこの作品を例として取り挙げ、分析を試みる。もちろん物語は内容が大切だが、むしろその内容をどう語るかによってこそ面白さが作られるのではないだろうか。
Sebastian Peel (University of California, Berkeley)
この発表では、1590年代の豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に書かれた日記を通して戦争の状況と当時の人々の認識を検討する。今回史料としたのは、秀吉軍の武将による「高麗日記」、浄土真宗の僧侶による「朝鮮日々記」、朝鮮の海軍大将による「乱中日記」の三つである。焦点とするのは、「降倭」と呼ばれる朝鮮軍に投降した日本人兵士、および秀吉軍に投降する朝鮮人兵士、そして日記の書き手たちの神道や仏教に基づく世界観についてである。
Deborah Price (University of California, Los Angeles)
十世紀に書かれた『蜻蛉日記』の一般的な印象は、作者、道綱母が夫の藤原兼家について批判めいた記述に終始しているというものである。確かに、作者は兼家に苦しめられていたが、兼家に明らかに愛されていたところもある。地位が低く、兼家に頼るしかない道綱母は、歌のやりとりを手段として兼家と互いに支え合っていたのである。経済的に、あるいは社会的に道綱母を支援し、優れた歌人である妻の作品を宮廷に紹介した兼家は、一方では作者の日記の語りを通じて自らの歌人としての才能を示し、宮廷にアピールしたという訳である。つまり、作者は、宮廷の地位が高い人々とのやりとりを通じて兼家 ‐そして自分‐ の地位を上げようと日記を書いたのだ。これは、道綱母が兼家を恨んでいたという印象と正反対である。
Tara Rodman (Northwestern University)
作詞家と作曲家の二人組であるギルバートとサリヴァンの「ミカド」というオペレッタは、イギリスでの1885年の初演から戦後まで日本で禁止された。従って、アメリカの占領の間に、最初の日本人によって演出され、日本人の観客のために「ミカド」が上演された。「ミカド」は欧米に於ける文脈では、オペレッタのオリエンタリスムがはっきり見えるのだが、日本では、別の意味が表される。この発表では、戦後の日本での「ミカド」の公演が、自由や世界主義、日本演劇の将来を表象することを解説する。
Alice Scheer (University of Cambridge)
欧米で経口避妊薬(ピル)が認可されたのは1960年代であるが、日本は1999年である。しかも、日本では承認10年後の使用率が3%に留まっている。ピルを使う女性が既に三世代に渡り、女性の解放の象徴と見なしてきた欧米で、この状況は驚きをもって受けとめられている。また、日本でピルが未承認であった時代に広く受胎調節が行われていたことにも、関心が持たれている。この発表では欧米と日本における避妊方法の歴史を比較してから、ピル承認の遅れの様々な理由を説明する。最後に、日本のピル承認に対する国内と欧米のマスコミの反応を考察する。
Benjamin Schrager (University of Hawaii at Manoa)
現在、農場に行かずにコンビニやスーパーで多様な食品が買えます。しかし、多くの人は口にしている食品の背景を意識していません。実は、60年代以降日本のフードシステムは改変を繰り返しています。この発表では、特に三つの点に関して1960年代以降の日本の農業と食品の変化について論じます。第一に、日本において農業の自由化が進むにつれて農産物の輸入と大規模農業が増加した点。第二に、日米の農産物の貿易、主にトウモロコシ、大豆、小麦といった穀物の米国から日本への輸入の活発化。第三に、地域ブランド化や特産物の推進という点です。
Ashanti Shih (Yale University)
1960年代に旅行会社およびハワイ州政府によって、ハワイは日本人観光客の理想的な観光地であるというイメージが創造されていった。そのブランド戦略を通じて、「楽園のハワイ」の表象に新しい要素が見られるようになった。日本人は、美しくて神秘的なハワイに加え、欧米の影響で発展したハワイにも魅力を感じるようになったのである。その結果、日本人観光客のハワイ旅行の中心は、欧米のような豊かな生活を体験することとなる。そして、ハワイアン・カルチャーが表面的なものになっていった。同様に、ハワイ自体も「ハワイらしさ」の意味も変容していったと言える。当時のガイドブックや広告等を検討しながら、その過程を検証する。
Benjamin Spitz (Georgetown University)
日本では危険回避的態度が強く、起業家精神が弱いとしばしば言われている。しかし、楽天、DeNA、GREEのような例を見れば、成功した新興企業があると分かる。日本の技術は高く、テクノロジーが普及しているため、ITの新興企業を創設する機会が多いと言える。最近その起業家精神が少し増えているが、新興企業を育成するためのインフラや環境がまだ成熟していないと思われる。とりわけ、資金調達するのが厳しく、アイデアからプロダクトを作ることはハードルが高い。最近インキュベーター、クラウド・ファンディング、エンジェル・インベスターというような資金源が増えてきたが、日本だけではなく、海外でも資金調達の機会がある。発表では、現在の新興企業における資金調達の環境について触れ、日本の起業家がシリコンバレーの投資家から投資を受けられるようにするための方法について説明する。
Justin Stein (University of Toronto)
霊気療法は大正時代に日本で生まれたスピリチュアル・ヒーリング・セラピーである。1930年代の終わりに霊気療法はハワイに伝わり、50年代からハワイから北米に普及し、80年代には「レイキ・ヒーリング」として世界中で知られるようになった。しかし、このレイキ・ヒーリングの実践や言説を、日本国内で発展した霊気療法と比べると、様々な変化が見られる。この発表では、1930年代にハワイの日本語新聞に掲載された記事、英語で書かれた日系人の日記、ハワイのレイキ実践者に対する聞き取り調査から得られた資料を、トランスカルチャレーションという人類学的な枠組みを用いて分析し、変化を検証する。
Beth Tucker (University of Pennsylvania)
中世以降、『源氏物語』の喪の場面は様々な分析の対象となっている。この発表では「幻」の巻に焦点をあて、紫式部が当時の喪に関する決まりごとや習慣、感情や哀傷のイメージなどを用いて、新しく複雑な喪の場面を創ったことを明らかにしたい。9世紀、白居易によって作られた『長恨歌』という長編の詩と10世紀に編纂された『古今和歌集』の四季の構造から「幻」における光源氏の長期にわたる喪を分析する。引き歌また多くの季節についての言及によって哀しみを伝えたり理解したりすることは、哀傷の描き方ばかりか、国風文化の通念や鎮魂に対する考え方自体にも影響を与え、後の物語の喪の場面にも反映されていると考えられる。
Brian White (University of Chicago)
現在の個人とメディアや技術との関係を考えるための一つの手段として、本発表はその関係性を頻繁に題材として取り上げるSF(サイエンス・フィクション)というジャンルを検討する。具体的には『serial experiments lain』(中村隆太郎監督、1998年放送)というアニメ番組を事例とし、SFに関する渡邉大輔と藤田直哉の理論を接合することを試みる。『lain』では、渡邊が提示する「SF的」な特徴が見られる。つまりありえない事物を視覚化することを通して、その事物が現実化されているのである。ここで藤田が現代社会を解釈するのに用いる「虚構内存在」という概念を導入することで、作品の含意が明確になる。結論として、『lain』は単なるSF作品ではなく、現代社会の状況を抽出する作品であると主張する。
Xiao Xiao (Columbia University)
東アジアの大乗仏教において観音は代表的な救世主のイメージを持ち、観音の救済譚は仏教説話の重要な部分を構成する。本研究は「今昔物語集」に収録された観音説話を取り上げ、中国の観音説話と比較した。特に、どのような人物に対してどのように救済を施すかについて分析した。その結果、両国の説話とも観音は主に現世利益を与えていることが共通していた。一方、中国の説話集に見られない「今昔物語集」の特徴としては、世俗的な願いを叶えるパターンが顕著であること、また、説話の主人公に女性が多いことが分かった。