2014-2015年度 卒業発表会内容紹介

「人間椅子」の恐ろしさ -意外な振る舞いと脳の情報分析力-

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日本の「ヌーヴェルヴァーグ」1961年-1966年 -アヴァンギャルド、ドキュメンタリー、アレゴリー-

Julia Alekseyeva (Harvard University)

日本の60年代半ばの芸術的な映画運動、いわゆる「日本のヌーヴェルヴァーグ」は映画研究者に評価されているが、この時代の芸術的な特徴や共通点について充分に議論されていない。本発表では、羽仁進、松本俊夫、大島渚、勅使河原宏などのこの時代の代表的な監督の映画の例を取り上げ、60年代半ばの優れた映画の特徴、特に、アヴァンギャルド、ドキュメンタリー、アレゴリーという特徴を分析する。

「ちゃんとスヰングしてるよ」 -大衆文化としての戦後日本のジャズ-

Kenia Avendano (University of Wisconsin-Madison)

本来、ジャズは戦後アメリカ占領軍によって日本に輸入されたアメリカの音楽ジャンル、いわば「日本のなかの異文化」である。にもかかわらず、今でも「ジャズと日本文化は密接な関係にある」と言えるのは一体なぜか。60-70年代の長崎を舞台とする『坂道のアポロン』(原作:小玉ユキ/小学館、監督:渡辺真一郎 )という独特な漫画・アニメ作品を通して日本でのジャズ受容の歴史を見直すというのが本発表のねらいである。この漫画・アニメ作品の中に流れているジャズは、どのように描写されているか、どのような文化的アイデンティティーを形成しているのかなどに着眼したい。そして最後に「戦後日本のジャズ」または「メディアによって大衆化されたジャズ」とは何かという難問に一つの回答を提案してみたい。ちゃんとスヰングしているかどうか見届けてください。

燃えたもの、燃えなかったもの -木戸幸一日記の提出-

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卑弥呼のさまざまな顔 -王女、巫女、アイドル?!-

Chelsea Bernard (Bennington College)

約2000年前、卑弥呼は邪馬台国の女王になり、巫女として国を治めたことによって、日本史上に名の残る最初の人物となりました。それ以来、女性の政治的、宗教的権力の象徴として描写されるようになりました。その上、小説、映画、漫画などの主人公のみならず、地域のマスコット、美人コンテスト、歯磨きキャンペーンにまで登場するようになりました。本発表では様々な卑弥呼の文化的な描写や映像を紹介し、更に歴史上の人物が今日の社会にどのような影響を与えているかを考えます。

『民約訳解』における「citizen」の翻訳語について

John Branstetter (University of California, Los Angeles)

英語の「citizen」の翻訳語として最初に「市民」を使ったのは福沢諭吉であった。ただし「citizen」の訳語には他にもいろいろあり、19世紀末まではその概念が正しく理解されていたとは言い難い面がある。中江兆民はルソーの『Contrat Social』を『民約訳解』として漢訳したが、その中ではフランス語の「citoyen」の訳語が不統一であり、ルソーの市民意識を上手く説明できているとはいえない。中江が用いた訳語は、ルソーとはかなり異なるJ.S.ミルの市民意識にむしろ近いと言える。この訳語の問題を考察することによって、明治期に於ける政治思想の発展のあり様が明らかになる。

マジックリアリズム

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任天堂 -ローカライゼーションの問題点と方法-

Samuel Burnton (Gustavus Adolphus College)

本発表では英語ローカライズ版における問題点と方法に焦点をあて、任天堂株式会社を探る。まず、任天堂のゲームが初めてアメリカに登場した時、間違いだらけでローカライゼーションが悪質だと言われたことを示し、任天堂がこのマイナスイメージをいかに改善したかについて述べる。次にローカライゼーションの問題点を克服した具体的な例として「動物の森」というゲームを取り上げる。最後にゲームの広告とケースの表紙について、英語版と日本語版を比較し、その差異を明確にする。

危険性の知覚 -どのように危険性を認知するか-

Melissa Bykowski (Stanford University)

日本のセキュリティ産業は60年代に形成され、セキュリティ技術の進展と共に防犯のパラダイムも変化してきた。70年代には、警備員に代わるものとしてアラームが普及した結果、「監視・検知・対応」という防犯モデルが構築された。しかし、この防犯モデルに含まれる「危険性の知覚」は、テクノロジーによって変わるであろうか。ここでは、テクノロジーの影響で身体の限界を超える可能性を考察し、セキュリティ技術は人間と世界の媒体となり得るので、身体の限界や知覚能力の領域を広げると主張する。

映画の「面白さ」 -日本シネフィル派の概念的な歴史-

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涙で鼠を描いた画家 -語り継がれた雪舟伝説の現在-

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ビジュアル系におけるジェンダー・パフォーマンス

Jennifer Crist (University of Minnesota)

ビジュアル系(V系)は、西洋のロック音楽そして日本の歌舞伎や宝塚といった演劇に深い影響を受けた、ジェンダーパフォーマンスを重視する、日本の独特なロックの下位ジャンルである。服装倒錯や派手なコスチュームなどを通じて、ビジュアル系バンドはロックを演奏しながら、極端な女性性、または中性性を演じる。この発表では、日本の伝統的な演劇との関係に焦点を当てながら、ビジュアル系を現代的なジェンダーパフォーマンスとして分析する。

中途半端な変貌 -村上春樹の『国境の南、太陽の西』の主人公に関する分析-

Lynn Dearden (Indiana University)

村上春樹の『国境の南、太陽の西』の主人公に関する分析を発表する。この小説の中で主人公は自分の現実世界は平凡すぎ、かつあたかも砂漠のようだと考えている。それ故、自分を変えるために創造力により虚構に基づく一種の別世界を作ろうとした。が、その創造そのものが錯覚に過ぎないので自分の変貌は完了していないと私は解釈している。この発表ではまず、主人公の現実世界と虚構世界を識別し、主人公の心の恋人である島本さんの役割を分析することによって主人公の虚構世界の破綻を検討する。そして、最後に主人公の変貌が不完全であることを明らかにする。

戦後の在日同人雑誌『民主朝鮮』に見える政治的観点

Robert Del Greco (Ohio State University)

同人雑誌『民主朝鮮』は第二次世界大戦後解放された朝鮮人(主に在日)と彼らを支援する日本人が日本語で政治的論文や文学作品を発表した雑誌である。植民地時代を生き抜き、新たな国家の建設を目指した元被圧迫民族は、この雑誌に抑圧されてきた抵抗の歴史を記録し、朝鮮の未来のあるべき姿を描いた。これらの文章は学界の本流からは左翼的とされ、その文学的価値と思想の深さは今も認識されていない。しかし、『民主朝鮮』の執筆者たちは共産・社会主義的思想は民主主義と対立しているとは考えておらず、それらを民主主義の系統の一つとして考えていた。そして、何よりもファシズムと封建制の復活を恐れ、民族団結、自主独立を目的としていた。

超芸術 -トマソンと赤瀬川原平-

Megan Dick (Pomona College)

セメントでふさがれている門がある。これは無用なものであるにもかかわらず、何故か修理が繰り返されている。そのようなものは何と言うのか。芸術家の赤瀬川原平によると、それは芸術だ。芸術といっても、「超芸術」であり、特に「不動産に付着しているもの」をトマソンと言う。本発表では、超芸術トマソンの発見、発達、命名について紹介する。それからプロ野球・読売ジャイアンツ元選手のゲーリー・トマソンとの関連、更に今日に与えたトマソンの影響についても話す。皆様にも「超芸術トマソン」を街中で発見していただければ幸いである。

役割語としての遊女語 -「フィクション」から「フィクション」へ-

Hannah Dodd (Ohio State University)

本来、江戸時代の遊女語はフィクション的な、現実から隔離された空間を作成するために利用されていた。遊女語を通して、遊女が自分の出身を漏洩しないように用いたばかりではなく、フィクションの話し方を利用することで、エキゾチックな雰囲気を作って客を引き付けた。本発表では、遊里の衰退とともに遊女語にどのような変化があったか、そして現在はどのようなところで遊女語を聞けるのか、という点を追求してみたいと思う。明治時代の女子書生における言葉遣いや、歌舞伎・小説というような作品を考察することで、現在のいわゆる「遊女語」がどのように存在しているかについて言及する。

21世紀における琳派ナイゼーション  -400年に及ぶ美意識の造形変化とグローバルな普及の変遷-

Erika Enomoto (University of Hawaii at Manoa)

琳派は、江戸時代(1615-1868)初頭に起こった、京都での新たな絵画様式および意匠のムーブメントである。西欧との貿易を通じて、輸出品として、琳派の作品は美術収集家や芸術界の間で高く賞賛された。さらに、琳派の成立時は、絵師、職人、商人、パトロン、および政府高官による協力を通して、構成されていた。よって、日本での琳派は美術と異なり、「造形されたアート」として理解されている。

400年の歴史を超え、琳派の成立以来、時間の変遷により、時代の要請とその重要度に応じて、文化的・政治的な装置としての琳派は、その目的や使われ方が継続的に発展し続けた。2015年は琳派の400年記念の年に当たる。本発表では、この記念すべき年に、琳派を「クール・ジャパン」に位置付けるという政治戦略を明らかにする各種のイベントや出版物に言及する。

日韓関係 -潜在的な乖離-

Cole Florey (Yale University)

現在、東アジアの中で最も類似している国は日本と韓国だとよく言われている。歴史問題などがあるが、表面的、国際的に見れば日韓関係は比較的良好だと言える。例えば、日韓企業の提携は進み、安全保障上でもお互いの国は協力している。しかし、今年3月、日本の外務省は、ホームページで韓国を紹介する記述を変更し、韓国が日本と「自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」という表現が消えた。また、最近の日韓世論調査でも、お互いの国に対する印象が悪化しているとの結果が見られる。そして、領土問題の議論も避けられているようである。

このような状態は、日韓関係の潜在的な乖離を示していると思われる。この乖離が長期的にどのような影響を東アジアの国際関係に与えるのかということを本発表で考えていきたい。

お・も・て・な・し -東京五輪への期待と懸念-

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父親の役割と子育ての変化

Tamar Groveman (University of Oxford)

本発表では、江戸時代以前から現在までの日本の父親の役割と、父親の子育て参加の変化を顧みた上で、横浜市を事例として家族の現状について検討する。子育てに対する父親の役割とその理想像は、明治時代に普及した「家庭」という概念、戦後の高度成長期の「核家族」における男女役割分担、そして昭和後期から平成における「家族幻想」つまり孤立化する家族成員といった環境の推移に伴って変容してきた。現在、各地方自治体は、「仕事」と「家庭」の間でさまざまな責任を負うべき父親の子育て参加を支援する方策に力を入れており、とりわけ横浜市ではユニークな取り組みがなされている。

『キルラキル』における母系制と儒教

Latoya Jackson (Washington University in St Louis)

『キルラキル』というテレビオリジナルアニメはパロディであるにもかかわらず、独特の支配体制を有する上に、かなり高い関係性も有します。その関係を分析して、アニメの重要な五つの人間関係と儒教の五倫関係に共通点があることを見出しました。さらに、アニメの中の関係は、上位者は常に女性です。そして、女性であることは家父長制に基づく儒教の五つの関係の階層と矛盾するので、本発表ではこの共通点と矛盾に焦点を当てます。

山岳と人寰 -小島烏水の『鎗ヶ嶽探検記』-

Aaron Jasny (Washington University in St Louis)

1905年に日本山岳会を創設した小島烏水は近代日本登山のパイオニアと呼ばれ、日本の山岳文学の先駆者でもあった。烏水の山岳行を描いた紀行文・エッセイは日本の初期の登山家に刺激を与え、自然描写・思想に新風を吹き込んだ。本発表では、烏水の紀行文を代表する『鎗ヶ嶽探検記』を取り上げ、彼の山岳文学における自然描写のありかたと、それによって表現される対自然観を紹介する。

伝説の中の狐と境界性

Matthew Keller (Yale University)

日本や東アジアの物語の中には、狐が登場する話は多く、人気があり、これらの話の中で、狐は様々な描写がされている。この発表では、その多様な描写を述べ、境界性の象徴としての狐に関して分析する。最初に、悪戯を好んで、変身できる妖怪としての狐の特徴を述べ、次に、人間を守って、神の言葉を伝える狐の役割を述べる。それから、狐の境界的な存在の特徴を述べ、この特徴がどのように狐の描写に影響を与えるかを発表する。最後に今後の課題として、社会において、境界性はどんな特徴や重要さを持っているかを挙げる。

慈悲を施す明君、感謝する民衆 -徳川将軍の儀礼と幕府権力立て直しの戦略-

Daniele Lauro (University of North Carolina at Chapel Hill)

儀礼は支配制度を正当化するだけでなく、揺らいでいる政治権力を立て直すためにも重要な役割を果たしているとされている。本発表ではこの概念に基づき、日光東照宮への将軍の参拝(日光社参)、将軍の公式な外出(御成)という儀礼の意義を取り上げる。先行研究を基に、将軍権力の衰退により、18世紀末から徐々に大きくなった被治者の離反という問題に対応するため、江戸幕府が儀礼を戦略として積極的に利用したと指摘する。

前衛の可能性 -夏目漱石におけるトランスパーソナル不安と大正生命論の底流-

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伝統より商業化を重視すること -落語と漫才の比較-

Victoria Martin (University of Oklahoma)

「伝統」と「商業主義」という二つの概念について考えるために、日本の寄席における落語と漫才をとりあげ、比較分析を試みたいと思います。落語と漫才はその歴史において共通点がありますが、現代では落語の方がより正統な話芸として評価されています。一方、漫才は大衆マスメディアの影響からか、儲かるビジネスになりました。二つの話芸の共通点と相違点を分析することで、なぜこのような違いが生まれたのか明らかになります。この発表では、伝統的な落語と商業化された漫才の歴史と特徴を紹介します。

新しい特別支援教育制度

Stephen Mauro (University of Washington)

最近、不登校、学習障害など、特別な教育の支援を必要としている児童生徒の数が急増している。こうした現状を受け、2007年に学校教育法が改正され、軽度の障害に焦点を当てたものになった。具体的には、学習障害の児童生徒「一人一人のニーズに対応した」教育課程が作られた。一方で、従来の盲・聾・養護学校が特別支援学校に統合され、様々な障害を持つ児童生徒が一つの機関で学ぶことになった。本発表では、この新制度の問題点を検討したい。

女性が書いた女性性のグロテスク

Philomena Mazza-Hilway (University of Chicago)

様々な芸術作品でのグロテスクの描写は女性性と関連するものが多い。文学における女性性のグロテスクは男性が書いていた長い歴史があるが、女性が書いた近代と現代の作品を通して、女性性のグロテスクの描写方法や意味することを分析し、今までとは違う含蓄のある文学であるという解釈を述べる。女性作家が、女性性のグロテスクを定義し始め、以前の男性作家の手で女の悪を扱う方法から自省のための重要な道具へと変化させたことを分析する。

戦後日本のチャンピオン -キヤノンカメラ-

Kelly Midori McCormick (University of California, Los Angeles)

本発表では、戦後の光学産業の発明、開発とマーケティングについて検討します。キヤノン、ニコンといった知名度の高いカメラ会社は第二次世界大戦中に日本帝国軍のため光学技術を開発しました。戦後では、キヤノン、ニコン、富士フイルムなどの企業はグローバルカメラ市場を支配し始め、日本の技術産業の評判を上げました。対象としての日本製カメラは国家のアイデンティティや戦後日本の復興の言述と消費、技術革新、労働と生産の歴史とを結びつけます。キヤノンと富士フイルム社史や富士フイルム労働組合の社内冊子の比較を通して、戦後日本の中流階級の消費文化に対する言説についての微妙なニュアンスを引き出したいと思います。

日本人の法意識

Zhuoxin Miao (Brandeis University)

日本の法学者である川島武宜(1909-1992)は『日本人の法意識』という著書で、日本人がもつ法律についての従来の認識と考え方と、近代的な法律に含蓄される、然るべき法意識との間にずれが存在すると主張した。しかも、この差はかなり大きいというのである。

本発表では、この点についての検証を目的とし、具体的な「私的所有権」と「契約」についての法意識を取り上げ、川島の著書にある「日本人の法意識」を露にする例と近代・現代における法律に示唆される法理に鑑み、川島がいう「ずれ」の存否・本質などを検討する。

国民優生法成立の文脈

Benjamin Miller (University of Chicago)

1941 年、日本で国民優生法が成立しました。この法律は優生学の思想に基づいた断種法と言えます。日本の精神医学が遅れていたこと、政府にとっては伝染病予防のほうが重要な問題だったこと、日本の家族国家観と矛盾することなどの理由で、法律制定までには時間を要しましたが、日本の社会的文脈がそこまで変化したことは注目に値します。

本発表では日本における優生学の発展を説明し、上掲の要素を考慮しながら、優生学が日本の社会的な文脈に適合していく過程について話します。

国際人身取引と日本の風俗産業

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明治期における仏教系大学の設立

Victoria Montrose (University of Southern California)

明治時代における宗教的な大学による西洋大学モデルの普及は、日本の近代化に伴う西洋文化の取り入れ方法の一つとされている。日本の大学制度について、教育改革と思想史の観点からは研究されているが、日本の仏教における知的権威の新たな供給源としては検討されていない。本発表では、日本最古の最も影響力のある三つの仏教大学に焦点を当て、明治時代の仏教教育と組織の変革を明確にし、日本の仏教の発展における貢献を検討する。

アベノミクスとTPP -脅威と機会-

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無を形成する -西田幾多郎の芸術創作・鑑賞-

Kyle Peters (University Chicago)

西田幾多郎に関しては、座禅修行の開眼を通して西洋的な二元対立を崩したという言説が一般的である。そのため、西田美学の中で「芸術創作」の概念は禅心の「無」の「表現」として扱われ、西田は仏教哲学者として研究されている。しかし、本発表では、1925年の「表現作用」にみられる美の概念を構成する西田自身の哲学概念を明確にすることによって、西田を仏教哲学者として扱う従来の研究の不均衡を調整することを試みる。特に、「作用」と「自己」という西田の1925年の哲学体系の基礎的な部分として機能している概念を検討する。その概念を通じて、「表現作用」においての芸術創作を検討し、自己自身の不定型的構造は主観と客観という区分を超え、多方面に溶解し、拡大すると主張する。

ボーイズラブマンガにおけるセクシュアリティと役割語

Ryan Redmond (University of Arizona)

ボーイズラブマンガ(ヤオイ)は男性同性愛関係における典型的な構造やその構造の維持が見られる文学ジャンルの一つである。この典型性は受動的な人物と能動的な人物という類型を通じて、それぞれ「攻め」と「受け」という二つの固定的で不変な役割を構造化する。だが先行研究によると登場人物は生物学的に男性であっても特徴や行動は男性的ではない。本発表ではボーイズラブ漫画の対話に見られる男性語と女性語の特徴に注目し言語行動を分析する。その結果、言語行動は男性的であり、役割の違いによって二人称代名詞の使用差異も現れたことを報告する。

災難への接近 -非常時の建築と緊急性-

Nicholas Risteen (Princeton University)

近代日本の災害後の再建と都市計画について説明する。1923年の関東大震災から1964年の東京オリンピックまでの期間に焦点を合わせ、この特別な時期における「非常時」という概念を分析する。

本発表では「危急性」と「臨時」という二つの概念を通して、戦前戦後の内務省・財務省などの政府資料、米国戦略爆撃調査(USSBS)、日本の大東亜建築グラフ、記憶や再建計画の災害に関する地図・写真、ひいては希少価値の高い日本近代建築史の40年間に及ぶ災害復興の構想など、建築と都市性の問題にも言及し、「非常時」という修辞法が、政治性や民意、建築的な革新など、災害後の都市再建の可能性と実現を決定づける「範囲」と「規模」の役割について考える。

最強の敵 -ローカライズという仕事-

Jacob Ritter (Cornell University)

親として、子供をトランスジェンダーの幽霊と遊ばせたいと思う?あるいは、勝負をする時、猫耳を付けた金髪の少女を頼りにできると思う?実は、ゲームローカライズの視点から見ると、その質問に対する一般的な反応は文化によるらしい。

前述した場面は、日本製テレビゲームの登場人物に関するものだ。だが、それぞれのゲームのジャンルにおいて、日本で適切だと思われることに対して、アメリカでは意見の相違が見える。その上、消費行動も国による。そのため、日本製のゲームをアメリカに輸出するに当たり、ゲームの様々な詳細を変えなければならない。その壁はどのようにゲームローカライズに影響を与えるだろうか。

狂言のもう一つの伝承者 -伝統的な考え方と鷺流狂言の場合-

Alex Rogals (University of Hawaii at Manoa)

幕府の終焉と明治時代の開幕と共に、鷺流狂言という伝統芸能は急激に崩壊し、伝統が消えたと考えられていた。しかし80年代に入ってから、学者たちが鷺流狂言の伝統はアマチュア狂言師たちのおかげで消えていないことを発見し、新潟県・山口県の尽力などによって保存会が結成された。この発表では、明治維新以降の山口県や佐渡島のアマチュア狂言師の歴史を調べ、確立された狂言家以外の愛好家も含めたより広い範囲の人々による伝統保持の活動について考えたいと思う。

アメリカの漫画における日本

Adam Rozich (Earlham College)

本発表ではアメリカの漫画における日本とアジアの描写を分析し、私見を述べる。最初に日本人の登場人物を中心に、90年代から00年代にかけての様々な漫画における例を紹介し、登場人物の名前や性格、服装などを取り上げる。次にその解釈を行い、それらの描写の良い点と悪い点を説明する。最後に最近の日本やアジアについての描写の仕方も紹介し、それを前の年代の例と比較し、どうして最近の描写の方が優れているかを説明する。

西川如見 -世界における日本の位置付けを考える-

Daniel Said-Monteiro (Yale University)

鎖国下の日本の知識人がどのように海外の概念や世界観を摂取したのかという問題を理解するために、西川如見の書物は重要な役割を果たす。江戸時代の初期の地理学者・天文学者として、中国の朱子学と西洋の地図学に基づき、日本の世界における位置付けをめぐる『日本水土考』らという自国讃美の書物を書いた。これを分析すると、当時の政治的・文化的な背景がよりわかるようになるだろう。しかも、西川如見のように、外国の論説を使用して自国の現象を解説することは、その時代だけではなく、近代以降の日本の知識人を特徴づける傾向と言えよう。

日本エネルギーの将来

Austen Samkange (Stanford University)

東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故後、安全性が確保できるまで日本国政府は全国の原子力発電所を停止した。その後も原子力発電の再稼働に対する不安が解消されないため、現在日本の将来的な電力供給に懸念が生じている。安倍内閣と経済産業省はその懸念を払拭し安定的な電力供給を成立させるために、様々なエネルギー政策を提案している。今回の発表では、日本の将来のエネルギー政策に於ける原子力と石炭発電、そして、メタンハイドレートの役割を紹介する。

「参戦者」意識 -日本パンクのライブにおける「内」-

Robert Sears (University of Missouri)

パンク・ロックのライブで生まれる「内外意識」の「内」は重層的に構成されている。本発表では、日本のパンク・ロックに見られる「内意識」に関して考察を行う。まず、ライブにおいて重層化された「内」について定義し、次に、パンク・ライブにおいて観察される行動や行為を述べる。そして、ライブ中の「内意識」がどのように表現されているかをアメリカとの比較の上で明らかにすることで、「日本風パンク・ロック」というべき現象への理解を深めたいと思う。

電力自由化の将来

Jonathan Shalfi (University of California, San Diego)

日本の電力業界は現在自由化されつつあります。遅くとも2020年までには新たな電気事業者が自由に市場に入れることになっており、消費者は誰からでも電力を買えることになります。自由化は一般家庭、企業、それから国全体に良い影響も悪い影響も様々に与えます。この発表では、日本の電力系統、自由化の目的、自由化の進め方そして将来の見通しについてお話します。

国産小麦によって作られるパン -「モダニティ」への不満の緩和手段として-

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少女小説におけるジェンダーと役割語 

Kimberley Shonborn (University of Hawaii)

日々、人々は言語を通して自分のアイデンティティを表現しています。同じく少女小説の中の登場人物も様々な言語を使ってアイデンティティが表されています。2000年代に流行したコバルト文庫の『マリア様がみてる』というライトノベルでも役割語を使ってアイデンティティを形成しています。お嬢さまことば、女ことば、若者ことば、男ことばをはじめとして『マリア様がみてる』における役割語の使い方とジェンダーの関係についてお話しします。

アジアの安全保障の変化と日米同盟の役割

James Simpson (Boston University)

アジアの安全保障環境は変化しつつあり、日本は新たな安全保障政策と日米同盟の役割を模索していると言われている。本発表では、先行研究と日米の防衛白書を用い、アジアにおける安全保障上の不安定要因及び今後の日米同盟の在り方について考察する。

日本の対北極圏政策

Nathan Stackpoole (University of Washington)

北極圏が従来の科学的予測よりも急速に温暖化していることに伴い、日本を含む世界の国々が北極に眠る豊富な資源などの可能性を奪い合い始めた。一方で、北極の天然資源をめぐる権利を調整する国際的な組織の設立が始まっている。本発表では北極をめぐる現在の状況、これを治めるべき組織、そして日本の役割を検討する。

仏教の根本を求める -近代日本におけるインド仏教のイメージ-

Paride Stortini (University of Chicago)

明治期から様々な日本の僧侶や仏教学者がヨーロッパに派遣され、サンスクリットの経典と西洋の仏教学を研究した。そして、帰国途中でインドの仏跡を訪問した。彼らの経験に基づいて日本で形成されたインド仏教の起源についての歴史的意識は、明治期からの日本近代仏教の構築に影響を与えた。本発表は東京築地本願寺の特殊なインド式建築様式に関する考察を出発点として、近代日本におけるインド仏教イメージの初期の構築過程を跡付ける。宗教は「旅する概念」であり、一種の国際文化交流であるという見地からこうした歴史的な過程を分析する。

日本で聞けるサウンドスケープ・デザイン -発車メロディの選択意図とその反応-

Laura Swett (University of California, Santa Cruz)

サウンドスケープ・デザインとはある場所の音の風景や生活音をデザインする活動である。非常に際立ったサウンドスケープ・デザインの例は各駅で電車の発着を知らせるメロディである。かつての耳をつんざくようなベルの音から、画一的なホームの発車メロディを経て、最近では各駅が地元ゆかりの独自ないわゆる「ご当地メロディ」に移ってきた。その選択過程で、鉄道会社と地元商店会が協力するため、ご当地メロディと宣伝の境界は曖昧になりがちである。本発表では、送り手の意図と受け手の反応を中心として、メロディの作曲家、鉄道会社、地元の商店会、乗客がメロディの選択過程で果たすそれぞれの役割とねらいについて考察する。

岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』から現代日本を聴く

Yeung Junn Ti (University of California, Berkeley)

岩井俊二は1980年代の日本のスタジオ制度の崩壊以後現れた「日本の新しい波」を代表する監督の一人である。様々な創造媒体の境界を越え、現実と虚構の間に新たな境界を描き出す監督として、岩井は「大きな物語」を喪失したポストモダン時代を代表する監督であると言える。『リリイ・シュシュのすべて』は、岩井が組織したBBSから派生したナラティヴから作られた映画である。この発表では、岩井の美的感覚が、ポストモダン時代に、新たな普遍性をみつけられないため、どのように疎外された現代日本の時代性を代表するかを検討する。

「ことば」が生み出す「真正」性 -コーヒー店タリーズにおける「コール」の作用-

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明治時代における横浜の歌舞伎 -その特徴と影響-

Melissa VanWyk (University of Michigan)

明治時代、横浜には日本初の居留外国人によって経営された劇場、海外からのサーカスや見世物が出現した。海外の演劇、見世物が横浜に流入すると同時に、安政時代から横浜で演じられるようになっていた歌舞伎でも次々と劇場が開設された。このように海外の演劇と、「改良」を叫ぶ声が高まりつつあった東京の歌舞伎界との出会いの場と位置付けられた横浜では、西洋のサーカス、『勧進帳』、『ミカド』、『ハムレット』等々の上演が同じ地域の中で行われていた。本発表では、海外と歌舞伎が接触する舞台としての横浜の機能に焦点を当て、横浜における歌舞伎の歴史を考察する。

荒地からの脱出

Justin Wilson (University of California, Los Angeles)

本発表では「荒地」という戦後の詩人のグループを紹介する。特に荒地派の詩と詩論を対象として、それが歴史的また、文化的にどのような意識を表現するかという問いを取り上げたい。これに回答するためには、荒地派の詩人がどのように自分の過去と現在について理解したかを考察しなければならない。彼らの詩と詩論を分析することで、戦争から戦後時代にわたる文化と政治の関係について説明する。

保坂和志と日常性の創出

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明治日本の読者たち -前田愛の読者像をもとに-

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アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター
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