(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Selim Atici (Stanford University)
本発表では、薬物依存症治療の現状を紹介し、「共同作業」としての実践を求める研究に注目する。具体的には、精神科医や臨床心理学者等の臨床研究と、社会学的観点からの研究の中から、治療や支援に必要である当事者の社会性に焦点をあてた研究に着目する。これまで薬物依存症は、個人の道徳の問題とする観点、病理性に注目する医学的観点、司法の刑罰主義からの観点からしか捉えられず、薬物依存症者は社会から差別や排除をされ治療につながらなかった。しかし、これには当事者のトラウマや対人関係、家族関係といった「社会的なもの」という観点が含まれていないという批判から、当事者と専門家との共同作業を通して、居場所づくりや支援が求められている。
Pierson Broadwater (Yale University)
戦後まもなく、日本の戦犯を裁く軍事法廷が国内外で開かれ、数千の軍人が戦争犯罪人として裁かれた。本発表では、それら軍事法廷の中の一つである横浜軍事法廷で審理されたタイラー二等兵死亡事件に注目し、戦争犯罪法廷において正義の実行がいかに困難であるかということについて述べる。まず、連合軍の捕虜の状況について概観し、次にタイラー二等兵死亡事件の概要を説明する。そして、その裁判で提出された証拠や証言を分析した後、最後に判決に対する自身の見解を述べる。
John Bundschuh (Ohio State University)
古文の助動詞「けり」の定義は現在も定まっておらず、多くの研究者は「けり」の意味を探る際、一つの定義に集約させようとする傾向がある。しかし、一つの形態素は通時的に意味が変化するだけでなく、共時的にも文脈に応じて意味が加えられ、彩られる。「けり」も文脈により、回想と結果相が含まれるパーフェクト、伝聞と論理的結果が含まれる間接的証拠性、または詠嘆と気づきが含まれる意外性を示すように使用されてきた。従って、一つの定義に絞るより、「けり」の意味論的不完全指定を理解し、上述の幾つかの定義の共通点を把握する必要がある。その共通点は時間的あるいは認識的に離れた既定事実が文法的に示されていることである。
Yuning Cao (Stanford University)
本発表では人々の若者言葉に対する見方に注目する。若者言葉は若者コミュニティを維持する手段の一つであり、インターネットの発展に伴い若者言葉という概念が世間一般に広がっている。若者言葉自体は研究されてきたが、聞き手側がどのように捉えているかに関する研究は少ない。本発表では、若者言葉を使う話し手がどのように評価されているかについてのアンケート調査の結果をデータ化し、若者言葉が映すペルソナを聞き手側の見方から探る。更に言葉の選択によって無意識に他人に与える含意を探求し、日本語の若者言葉の指標性を論じる。
Victoria Davis (University of Southern California)
芸能を研究する際に何を資料とするか、さらに、その資料から当時のどの人物について、どのような結論が導き出せるかは、分野によって変化すると言える。芸能研究のための既存の方法としては、歴史学と民俗学という二つの方法があるが、1980年代、そのような限定された研究方法を乗り超えるために、「パフォーマンス・スタディーズ」が学際的な分野として成立した。本発表では「人形浄瑠璃」という伝統芸能に注目し、浄瑠璃が芸能として確立した過程は、民俗学と「パフォーマンス・スタディーズ」という二つの視点から学問上どのように理解されているか、あるいは記述されているかを紹介する。
Susannah Duerr (Duke University)
学者である鈴木大拙や僧侶の鈴木俊龍によってアメリカで広められ、アップル社元CEOスティーブ・ジョブズのような著名人にも称揚された「禅」の概念には、今や仏教の宗派という意味だけでなく、ある特定のライフスタイルや考え方という意味も含まれ、日本に逆輸入されている。禅学者石井清純はその二つの意味を『禅スタイルでいこう!』という青少年向けの自己啓発本において統合している。禅を好んだアメリカのセレブの逸話と伝統的な禅問答を並べて配置し、若者の悩みに「禅スタイル」で答えようとする『禅スタイルでいこう!』は、日本に禅が逆輸入されたという状況を若者へのアピールのために利用すると同時に、逆輸入という現象そのものの一例になっているといえる。
Jemma Gallagher (Kyushu University)
本発表では九州の陶磁器である有田焼と唐津焼に注目する。江戸時代の17世紀に現代の佐賀県で陶磁器が主要産業になった。当時、日本が朝鮮半島を侵略したことから大陸の陶磁器技術が九州に伝来し、その後貿易を通じて有田焼は欧州で非常に人気を呼んだ。有田焼も唐津焼も朝鮮半島から影響を受けたが、異なるスタイルを採用した。陶磁器の製作工程において、粘土の素地の違いと焼成と窯の使い方の二点に注目したい。
Yannick Gayama (University of British Columbia)
1993年、第1回アフリカ開発会議 (TICAD) が行われ、日本はアフリカに対しての積極的な外交政策を初めて打ち出した。しかし、15年後、その政策は期待したほど効果的でなく、さらに中国がアフリカとの関係を強めていったため、日本は対アフリカ政策を再考せざるを得なくなった。その結果、2008年のTICAD IVで日本政府は、政府開発援助から海外直接投資に切り替えるとともに、お互いに対等な立場で関係を結ぶパートナーシップという方向に転換した。そして、それらの進捗状況を確認するため「フォローアップ・メカニズム」が導入された。このメカニズムは実際に行ってみると様々な面で問題はあるが、改善できる可能性がある。
Zhe Geng (Harvard University)
西洋の文学的伝統では、女性の表現や行為者性を否定するために、女性心理を病理化する傾向がある。女性の主観性は情動の過剰性や非合理性、あるいは精神的不安定と結び付けられる。日本文学の中にも狂女という原型が存在している。しかし、現代の小説において、メンタルヘルスの描写はフェミニズムとの関係において捉えることができる。本発表は、その一例として村田沙耶香の『コンビニ人間』を取り上げる。『コンビニ人間』では、メンタルヘルスの描写は女性である語り手の権威を失墜させることはない。むしろ、家父長制社会の偽善を暴き、さらには、支配的な文化規範の正当性に対して疑義を呈していると言えるのではないだろうか。
Jordain Haley-Banez (Mount Holyoke College)
2018年11月に、三菱UFJ銀行のブラジル支店はバンコブラデスコという銀行と新たな国際送金の制度の開発に関する協力をすると公表した。協力の目的はリップルという仮想通貨を用い、日本からブラジルまでの国際送金をより迅速に行えるようにすることである。本発表では、仮想通貨の会社と銀行の協力について説明した上で、現在の利用状況と将来の可能性について考える。
Geoffrey Harris (University North Carolina at Greensboro)
近年、インターネットが家庭に普及し、ゲームの形態や遊び方に様々な変化をもたらした。例えばアイテム課金やコンテンツのダウンロード、携帯ゲームなどである。本発表では、70年代から現代までのインターネット技術の発達に伴いゲーム機やゲームソフトがどのように変化してきたかを分析し、インターネットがゲーム業界に与えた影響について論じる。最後に、これらの変化に対してユーザーの立場から意見を述べたいと思う。
Lillian Hart (DePaul University)
本発表では、日米官民パートナーシップの代表例としてフルブライト教育交流事業やTOMODACHIイニシアチブを取り上げる。まず設立のきっかけや活動内容など概要を紹介し、修了者や政府関係者のコメントなどからその役割や意義について考察する。アメリカのみならず世界に広がりを見せる自国優先主義が国際協調や国際平和を損ないかねない今こそ、国家を超えた人と人との交流を促す官民パートナーシップの重要性に注目したい。
Shane Healy (Middlebury College)
五街道の整備や移動制限の緩和の影響により、江戸時代に盛んになった聖地巡礼は、宗教的な意味合いに加え徐々に世俗的な目的を帯びるようになった。その結果、現代日本における観光産業にも大きな影響を与えたと考えられる。近年、新たな「聖地巡礼」が注目を集めている。それは、アニメや漫画等を愛好するオタクによるロケ地訪問を指す「聖地巡礼」である。本発表では、日本における巡礼の歴史がこの現象にどのように影響したかを明らかにし、神田明神に納められている絵馬の分析を通じて、神社がどのようにオタクと登場人物の関係を媒介しているかについて考察する。
Shannon Herbert (Earlham College)
近年、いわゆる御朱印集めの人気が急速に高まり、マスコミの注目を集めている。参拝者を増やすために、収集家にアピールする特別な御朱印を作り始める神社仏閣も出てきた。確かに訪問者は増えているものの、参拝せずに御朱印を頂くことだけに熱中する人たちが問題となっている。いわゆる「御朱印ブーム」は寺社にどのような影響を与えているのか。御朱印の宗教的意味をどのように考えるのか。御朱印は単なる記念スタンプに過ぎなくなってしまったのか。本発表ではこれらの問題をあらゆる面から考察する。
Tami Hioki (Stanford University)
19世紀、日本では大きな変化が起きた。江戸時代には海外からの情報が限られていたが、19世紀に入って世界に関する情報が増えたのである。世界地図は、その重要な資料の一つであった。外国からの情報の制限のため、初期の日本の世界地図は不正確な部分がいくつもあった。しかし、19世紀には、世界地理の情報が蓄積され、以後の世界地図は次第に正確になり始めた。本発表では、18世紀末および19世紀に作られた世界地図におけるカリフォルニアの描写を通して、日本の古い世界地図の変化を検討する。カリフォルニアは日本の古地図でどのように描かれたのか、そして、当時の日本とカリフォルニアの関係はこの地図からどのように解釈できるかについて分析する。
Ian Hutchcroft (Occidental College)
2030年までに達成すべき持続可能な開発目標(SDGs)が2015年の国連総会で採択された。この中心にあるのは、「誰一人取り残さない」ことを目指し先進国と途上国が一丸となって取り組むべき17のグローバル目標と、それを具体的に示した169の項目である。日本は他の国々のロールモデルとなるべくSDGsの実行に努めている。本発表は、政府、民間企業、市民団体という三つの観点から、SDGsの経済的、社会的、環境的側面における日本の進捗状況を検討することを目的とする。
Ramsey Ismail (University of California, San Diego)
「社会的ひきこもり」とは、自宅にひきこもって社会参加をしない状態が6ヶ月以上持続しており、他の精神障害がその第一の原因とは考えにくいものとして定義され、様々な学者によって研究されてきた。しかし、「ひきこもり」という人たちが、どのような方法を通じて部屋から抜け出すかは、まだ十分明らかにされていない。本発表では、ひきこもりの回復を支援する「ニュースタート」というNPOでの参与観察に基づき、ひきこもりが「ニュースタート」に来るきっかけや、「レンタル」という一つの脱ひきこもり支援の過程に着目する。
Chen Jiang (Columbia University)
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Lun Jing (Duke University)
本発表では、愛知県犬山市の博物館明治村(以下「明治村」)の沿革を簡潔に説明し、その文化的・建築的表象を検討する。1965年3月に開村した明治村は、建造物の移築保存を通して、当時取り壊される危機に直面した近代建築の保護に大いに貢献した。明治村は、建造物の再建と専門家による「空間作り」という手法を通じて、野外博物館かつテーマパークという性格を持っている。その性格は、明治の建築と歴史の情報を動態的に発信し、来客が能動的に参加することを可能にしている。明治村はポストモダンの思想が浸透する中、戦後に残った近代への追求に啓発され、建設され、運営される文化的プロジェクトなのである。
Katherine Joplin (Stanford University)
LGBTQのコミュニティは世界中で甚だしく疎外されており、クィアのアイデンティティを公に表現できるのは一部の場所に限られている。しかしながら、プロのドラァグクイーンが様々な競争をするリアリティ番組『RuPaul’s Drag Race(RPDR)』がアメリカで人気を博したことにより、世界のドラァグシーンは劇的な変化を遂げている。日本では『RPDR』が字幕付きで放映され始めたばかりで、まだその影響は現れていない。本発表では、日本のドラァグクイーンやLGBTQの人々への聞き取り調査の報告を交えて、 日本のドラァグシーンの現況と将来の可能性について述べようと思う。
Chuyue Kuang (Yale University)
横浜の中華料理は本物だろうか。この疑問から始まり、横浜にある幾つかの中華料理店で料理人達の中華料理に対する考えについて調査してみた。そもそも料理は常に歴史や文化、環境によって変化しているため、料理にオーセンティシティを要求するのは不可能だとも言える。ある地域の料理の本質を探すとしても、把握できるのは長い歴史の中における一時的な認識にすぎない。同様に、日本における中華料理も華人・華僑の生活環境と日本人の味覚によって大きく変わってきた。料理のオーセンティシティとは何かという問いかけに対し、中華料理の料理人達はどのように答えるのだろうか。ここから研究の方向性を探っていきたい。
Hana Lethen (Princeton University)
能の演目において、般若面は恋人に対する怒りや嫉妬といった激しい感情によって鬼女に変身した女性を表す。馬場あき子は『鬼の研究』(1971) で、般若面をつけた登場人物を「破滅」した人間と呼び、鬼に分類する。しかし、これは人間の特徴を多く持っている般若の分類としては単純すぎるのではないだろうか。この発表では、能の演目「道成寺」の般若に焦点を当てながら、般若は鬼ではなく、強迫観念のため、日常世界を脱せざるを得ない女性であると論じる。そして、般若と似ているが完全な人間性を持つ狂女という登場人物も考えながら般若を検討する。最後に、世阿弥の芸道論の観点から、人間と鬼の境界性を持つ般若を能自体の魅力を具現するものであると結論付ける。
Fangdan Li (University of Pennsylvania)
近年、『週刊少年ジャンプ』の長編連載の人気漫画が相次いで完結した。その後の新作では、一風変わった新たな女性キャラクターの出現が見られる。先行研究では少年漫画における女性キャラクターは、良妻賢母という社会像を反映した存在として、また、セックスシンボル的な存在としてしばしば批判されてきた。では近年の女性キャラクター達はどのような変化を遂げたのだろうか。また、そのキャラクター達がもたらした新たな女性像とは何だろうか。本発表は少年漫画従来の女性キャラクターに関する研究を踏まえ、『週刊少年ジャンプ』における新たな女性キャラクターを理解するために必要な研究方法について検討したい。
Audra Lincoln (University of Illinois Urbana-Champaign)
中継放送の手話通訳や駅構内にある点字ブロックといったものは、障害者のための顕在的なアクセシビリティであると言える。しかし、障害者が社会に参加できることを阻止する障壁への合理的配慮を求める障害者差別解消法があるにもかかわらず、アクセシビリティにおける課題が残っている。本発表では、筆者の経験を踏まえ、聴覚障害者と視覚障害者に対するメディアのアクセシビリティを検討する。
Yingzhi Lu (Stanford University)
谷崎潤一郎は『瘋癲老人日記』において、従来から日記体あるいは書簡体小説で用いてきた短い点線をさらに発展させ、長い点線を導入した。この点線の独自の用法により、谷崎は登場人物と異なる外枠語り手、即ち日記の編集者を提示する。その外枠語り手は小説の内枠(四つの手記)と最外枠(「含意された作者」)との間に存在する枠において物語に介入している。本発表では、まず小説の構造を再構築する。次に、James Phelan の修辞叙述学の方法を参考に、外枠語り手の役割を究明しながら、物語に存在する枠それぞれを定義し、その間の関係を分析する。最後に、テキストにおける「含意された作者」像を改めて明らかにし、谷崎晩年の作家像について、新しい理解を提示したい。
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Austen Matsui (University of Wisconsin - Madison)
文化心理学者の視点から見ると人の心性は文化から影響を受けているが、それを過小評価する傾向が従来の理論によく見られるという。例えば、欧米の理論は「普遍性」があると一般的に考えられているため、日本においても文化的文脈を考慮した独自の理論ではなく、欧米の理論に基づいたカウンセリングが行われることがある。本発表では、まず、アメリカで発展した理論とカウンセリングの方法が日本人のクライエントに効果がなかった、もしくはマイナスの影響を与えたという事例を紹介する。次に文化的文脈を考慮した研究を紹介する。最後に、心理学において文化的文脈を踏まえる必要性について言及する。
Megan McCarthy (University of San Francisco)
子供のころから合気道に興味を持ち、合気道をきっかけに日本語の勉強を始めた。ときには稽古を休むこともあったが、私の心はいつも合気道とともにあった。近年、ブラジリアン柔術や総合格闘技は人気があるが、それに対し、試合も「たたかい」もない合気道はいかなる面白さがあるのだろうか。10人の愛好者へのインタビューを分析した結果、合気道の魅力は次の三点に集約されることがわかった。1)相手を尊敬すること、2)体に優しいこと、3)試合や大会がないこと、である。本発表では以上の三点を中心に、合気道の魅力について述べる。
Matt McClellan (University of Victoria)
日本アニメが好きな外国人の間では、字幕と吹き替え、どちらが視聴者にとって良いかという争論がある。字幕派は「日本の文化に触れたいから字幕が適切で、吹き替え版は字幕版より劣る」と言う。一方、吹き替え派は「母語で見るのが一番快適だ」と言う。元々のセリフの言葉や雰囲気を楽しみたいなら、字幕版が一番適切だ。吹き替えられたアニメなら、オリジナルの文化がある程度薄くなってしまう。しかし、だからといって吹き替え版が絶対に字幕版より劣っているわけではない。字数制限で、吹き替えの方が内容をより正確に伝えられる場合があり、原作者が吹き替え版を褒めた場合もある。従って、字幕と吹き替えにはそれぞれの長所と短所があるのだ。
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Kiyomi Moore (University of Hawai‘i at Mānoa)
ヒップホップ文化はグローバル化したとしばしば言われている。しかし、ラップミュージックのみならず、ヒップホップダンスも普及した。本発表では、世界中で広まったヒップホップダンス、特にブレーキングについて説明する。ブレーキングは1970年代にニューヨーク市南ブロンクス区で貧困層のアフリカ系とラテン系の若者によって作られた。非常に盛んになったこのダンスの性質や特徴を検討し、ブレーキングの特殊性も紹介する。最後になぜブレーキングが流行してきたのかに関して論じる。
Fatuma Muhamed (University of Washington)
一般的にオタク文化として取り上げられるのは主にアニメと漫画だが、近年ライトノベルがその存在感を増しており、アニメ化やゲーム化など様々なメディアミックスを生み出している。中でも絶大な人気を博す「異世界もの」は、ニートや引きこもりである主人公が現代日本から別のファンタジー世界へとテレポートし、そこでかつてない充実した生活を送るという話である。「単なる願望成就」との批判もあるが、一方で、現代日本の若者の悩みや不安を反映しているとも考えられる。この発表では、『RE:ゼロから始める異世界生活』というシリーズの分析を通して、「異世界もの」が若者の問題をどのようにとらえているかを検討する。
Adam Reynolds (University of California, Irvine)
狂言という伝統喜劇は能の幕間に演じられる。狂言の中には、盲人が登場する「座頭狂言」というサブジャンルがある。『天正狂言本』という16世紀後半に書かれた狂言集を、19世紀前半の狂言集と比べると、後者は盲人を滑稽に描く演目が少なくなり、盲人が自立し幸せになる演目が増えている。これはなぜだろうか。本発表では、二つの座頭狂言「ぬのかひ座頭」と「川上座頭」を紹介し、盲人に対する社会や仏教の考え方の変化を説明する。
Lia Robinson (Columbia University)
アメリカによる占領時代及び戦後期、日本の写真には共通の被写体として、いわゆる「コンタクト・ゾーン」となっていた米軍基地とその周囲の歓楽街が現れる。しかし、知られているのは男性写真家による写真がほとんどで、女性写真家は無視されている。また、日本写真史において飯沢耕太郎の『「女の子写真」の時代』以外、プロの女性写真家に対する研究はほとんどない。本発表では、まず日本の女性写真家がどのようにプロフェショナルなイメージを構築し、作品を発表したかを簡単に紹介し、次に米軍基地についての写真を取り上げ、ジェンダーの対立がどのような影響を与えたのかという問題を提起し、「女の子写真」というカテゴリーを検討する。
Quade Robinson (University of North Calorina at Chapel Hill)
19世紀の後半から中国の国際的な力は弱まっていったが、日本でも日清戦争以降中国を軽んじる風潮が徐々に広がっていった。そのような状況の中で1934年、竹内好は中国の実像を伝えようと武田泰淳ら同志と「中国文学研究会」を結成し、雑誌『中国文学月報』を発行した。以後、精力的に投稿を続ける竹内であったが、1940年に発表した文章がもとで吉川幸次郎との間に論争が起こった。その論争では、翻訳方法や訓読の功罪などが論点となったが、竹内好は直訳を否定し、斬新的な意訳を主張した。竹内の意図は形式に満足するのではなくより深く対象に迫ることであり、その研究態度はその後の中国研究に大きな影響を与えた。
Jordan Roth (Waseda University)
この発表のテーマは、日本における入れ墨のある人に対する扱いである。日本では偏見があまりないと思われているが、本当にそうであるかについて検討する。日本の習慣や考え方を単に批判するのではなく、歴史的文化的観点から、なぜ日本では入れ墨に対する偏見があるのかについて考察する。また、入れ墨に対する偏見を感じた自分自身の経験や、タトゥーを入れた外国人の扱いについても言及する。
Wesley Sampias (University of Illinois Urbana-Champaign)
この発表では、なぜ日本は西洋的な衛生制度を採用したかを考察する。明治時代の初めから日本は西洋的な衛生制度を採用したが、理由は諸説ある。その中で注目したい説が二つある。一つはコレラを終息させるために衛生制度を採用したとする説、もう一つは不平等条約を改正するために採用したという説である。そこで本発表では、この二説を明らかにするため、明治時代の日本における衛生制度と衛生概念、例えば森鴎外が述べた衛生概念を説明し、いかにして日本は衛生に関する政策を施行したかを説明する。ついで、なぜ日本は衛生制度の導入を急いだのかという点について述べる。
Kirsten Seuffert (University of Southern California)
2018年は、いわゆる「国際抗議行動年」である1968年から50周年にあたり、その時代について学問的関心とある種のノスタルジアを呼び起こしている。結果として、1960年代の後半から1970年代の前半までの日本の文脈における社会的、政治的な争乱や抵抗のイメージは様々なメディア環境において再発見、再解釈、再利用されている。本発表の目的はパロディと不安定化 (destabilization) に焦点を当てることにより、この時代の身体化された抵抗や活動のビジュアルな表象、特に社会歴史的な文脈や対象だけではなく、自分そのものをイメージとして問う作品を考察することである。このような「抵抗イメージ」は異なる現実、そしてより隠されたイメージや過小評価されたイメージを提示すると言える。
Elizabeth Smith (University of Chicago)
「慰安婦」問題に関しては、その認定や補償を巡って日本と韓国との主張が食い違っており、国家間の政治的な問題として捉えられることが多い。しかし、近年はそのような国家を中心に据えた捉え方とは異なる新たな動きが民間レベルで見られる。例えば政府の見解に沿うのではなく、女性の辛苦を前面に出した展示が博物館で行われたり、植民地主義という観点の重要性が会議で主張されたりなど、活動が多様化している。このように、「慰安婦」に関する活動は今や固体化した静的なものではなく、多様で動的な運動なのである。
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Aaron Steel (University of Washington)
日本語教育の現場では、教師は様々な教授法を用いながら学生に日本語を教える。海外の日本語教育で採用されている内容重視の日本語教育、いわゆるCBI(コンテンツベース・インストラクション)は、文法翻訳法やコミュニカティブアプローチの日本語教育と異なり、日本語の言語としての側面を学ぶことよりも教師が選んだ様々な分野のテーマを日本語で学ぶことを重視する。本発表では、最初に内容重視の日本語教育について簡単に説明する。次に、1990年代以降から実践された内容重視の日本語教育を紹介する。最後に日本研究センターで行ったインタビューについて報告する。
Anthony Stott (University of Chicago)
2003年、エドワード・サイードは、いわゆる「レイト・スタイル」についての最後の著作を書く途中で亡くなった。本発表は、「レイト・スタイル」を思想史的に検討し、次に、サイードと親しかった大江が、最近の二作品においていかに「レイト・スタイル」 を形にしているか分析する 。この二作品の分析から、大江においては、「レイト・スタイル」が触媒として、その小説世界を拡大し、形を与えていると主張したい。大江は自身の創作と改稿のプロセスに様々な声を導入した。これにより自身の男性的・中央的・焼け跡世代的な作家としての解釈の地平を批評している。これが作品内にテンションを生じさせ、ポリフォニー的な小説形式を創作している。
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Evan Tarkington (George Mason University)
日本企業がアメリカで訴訟に直面した場合、潜在するリスクが多々ある。日本と異なるアメリカの情報開示手続(「ディスカバリー」)に伴うリスクがその一つである。訴訟に関連しうる様々な情報や文書の開示が連邦民事訴訟規則により義務付けられ、裁判所がこれを厳しく取り締まる。一方、日本の民事訴訟法も文書提出義務を規定するも、例外を規定する条文や義務を否認する判例により、提出義務がかなり制限される。本発表では、両国の民事訴訟制度における証拠収集に対する基本的な考え方を紹介し、日本企業などの当事者がアメリカでのディスカバリー義務を軽視した場合のリスクを説明する。
Chia-Chen Tsai (Columbia University)
「湘君」と「湘夫人」は紀元前300年ごろ、詩人である屈原が創作した詩歌である。詩歌の内容は、湘君と湘夫人が河の神として描かれており、恋人である相手を待ち、一生懸命探したが、最後まで会えなかったというものである。11世紀の李公麟、14世紀の張渥、20世紀の張大千は「恋人を待ち望む」というテーマを絵画で示している。特に、主人公の寂寞感や恋人との距離感を伝えるために、有限の画面空間に無限の空間的な感覚を表すという手法を利用している。彼らは各自、背景に「煙」「水」「余白」といった独特の要素を使っている。この発表は「煙」「水」「余白」がどのように「湘君」と「湘夫人」の画面における空間を広げるかを説明する。
Christopher Tso (University of Cambridge)
本発表は、現代日本社会における男性の身だしなみという男性の身体における日常的経験を女性の視点 (female gaze) から探求する。事務職に従事する男性への民族誌的な聞き取り調査から、男性によって想像された女性の視点ならびにリアルな女性の視点は、男性の身だしなみの基準を再生産するような監視機能としても、男性が自身のジェンダーアイデンティティを作り上げるような役割としても働くことを論じる。
Katherine Van Patten (Bates College)
本発表では、宝塚歌劇団について紹介し、劇団専属の脚本演出家である上田久美子の作品に焦点を当て、その特質について検討する。宝塚歌劇団は105年の歴史を持つ、女性のみによって演じられる劇団である。その特徴は、男役トップスターを頂点とするピラミッドのようなシステムであり、完璧な理想の男性を演じる男役を中心に非現実的な夢の世界が描かれてきた。上田久美子の作品では、宝塚の伝統を守りつつも、従来の宝塚作品には見られない「不完全な人間像」「ステイタスの逆転」「愛と憎悪という相反する感情」がモチーフとして描かれている。本発表では上田の代表作の一つである「金色の砂漠」を例に挙げて説明する。
Steven Veshkini (University of California, Berkeley)
人工知能(AI)の急速な発展に伴い、意思決定の補助をもできるAIが生み出された。近年では、安全確保の目的でそのAIを犯罪予測システムとして活用し、予測されたことに迅速に対応するという試みがすでに開始され、ある県警においてその有効性が検討されている。しかし、この警察が行う犯罪予測行為は人権侵害だとする批判も少なくない。このような客観的に思われるAIによる犯罪予測行為は、はたして日本国憲法上、問題となるのだろうか。本発表では、犯罪予測システムの概要を紹介し、そのシステムの利用に関し、日本国憲法の観点から検討を行う。
Adrian Visan (University of Tokyo)
日本ではバブル崩壊後、株価の下落、英米型に近いコーポレート・ガバナンスを求める外圧などから、日本は敵対的買収の最もしやすい国になるという予測があった。ところが、今日まで日本は先進国の中で、敵対的買収がほとんど成立していない唯一の国となっている。本発表では、日本企業に対する敵対的買収が成功しにくい理由として、銀行・保険会社などの安定株主の存在、株式持ち合いなどの分散株保有、投資家と企業の関係など、日本の特徴的な企業文化に焦点を当てる。
Kai Wasson (University of California, Santa Barbara)
世界大戦に参戦した国々の歴史教育における敵に対する扱い方を検討すれば、自国の歴史を超国家主義的に執筆することは平和よりも新たな戦争の一因となりうることが理解できる。諸国民のこころに平和的な認識を植えつけるべく、第二次大戦後、歴史教科書を共同執筆する動きがヨーロッパで活発化した。東アジアでも、2002年から共同執筆の歴史教科書を実現しようとする試みが行われてきた。本発表では、『新しい東アジアの近現代史』という共同執筆された歴史教科書を紹介する。まず問題背景に簡単に触れ、歴史的認識と和解との関係に関する歴史学者の考え方を説明する。最後に、この教科書が作られた狙いと編集方法、そして問題点を概説する。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Shannon Welch (University of California, San Diego)
ブラジル日本移民文学は、日本文学としてほとんど知られていないが、コスモポリタンおよびナショナルのアイデンティティの概念を考える上で新しい視点を与えてくれる。本発表では、『ある開拓者の死』(田辺重之1932)と『配耕』(古野菊生1934)の二編の短編小説を取り上げ、分析する。それぞれの作品が異なるブラジル日本移民のアイデンティティを描いているが、どちらもコスモポリタンともナショナルとも明確に分類できず、「挟間」のアイデンティティと呼ぶべきものであることが分かる。そして、このアイデンティティの多様性は、ブラジル日本移民のアイデンティティの一様な概念化と、唯一のユートピア思想としてのコスモポリタニズムにも疑問を呈すると論じたい。
Jessica Zamora (University of California, Santa Cruz)
「ボス」と戦闘するビデオゲームをプレイしたことはあるだろうか。ボスとは強大な力を持ち、プレイヤーがゲームを進行させるために必ず戦わなければならない相手のことである。対ボス戦闘を設計するのはプログラマーの仕事だと思う方が多いかもしれない。しかし、実はそうではない。プログラマーだけではなく、ゲームプランナーという職種も不可欠なのである。本発表は、具体的な例を通して、ゲームプランナーとは一体どのようなものなのかを検証していきたい。特に、ゲームの中で重要な位置を占めるボスキャラクターを作る、そして、そのボスとプレイヤーとの戦闘をデザインするとはどのようなことなのかを説明する。
Mengxi Zhao (Heidelberg University)
元禄八年 (1695) 五月三日、清朝から渡来した『帝京景物略』は長崎の立山奉行所の前で焼かれ、すべての関係者は強制的に帰国させられた。この事件の背景としては、寛永七年 (1630) より、キリスト教に関連する書籍の流入を防止するための検閲が行われていたことがあげられる。ただし、キリスト教の教義に触れなくても、禁書と認定される可能性もあった。本発表では、『帝京景物略』に対する検閲を分析することで、江戸時代における禁書政策の変遷と輸入地での実施状況を検討する。