Sei Antonides (Tufts University)
2022年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始した。侵攻開始直後、ロシアはウクライナの首都キーウを北と北東から制圧しようとして失敗し撤退したが、ドンバス地域のほぼ全域を占領してから戦線は膠着した。私はこの侵攻をアメリカと日本の報道機関がどう報道しているのかに注目した。アメリカの新聞は軍事的状況を細かく報告し、西側からの対ロシア制裁とウクライナ支援およびヨーロッパでの外交・軍事的影響に注目した。一方、日本の新聞は侵攻と制裁の経済的影響を報じていたが、それに加えて和平交渉の進展と、侵攻の東アジアの外交・軍事的環境への影響に注目した。本発表では、両国の報道の力点がなぜ異なるのかを分析する。
Misha Awad (Vassar College)
地図は目的地までの行き方を調べるための道具にすぎないと思っている人は多いかもしれない。しかし、地図には様々な利用方法がある。例えば、あまり知られていない史実に光を当てたり、災害から私たちの命を守ったりすることもできる。また、環境問題に関する情報を一瞬で伝え、その対策を考えるきっかけも与えてくれるのである。本発表では、防災地図やココア栽培地分布図、歴史的な資料としての地図を紹介し、インターアクティブな地図の概念やその作成方法、デザインなどについて説明する。
Katherine Beckwitt (University of Massachusetts Amherst)
プラスチックは太陽の紫外線により分解され、5㎜からナノサイズまで細かくなり、河川、海、食品、飲料水に入り込む。さらに、動物は言うまでもなく、人間の体内にもこのマイクロプラスチックが存在することが確認されている。現段階でマイクロプラスチックの人体への影響は不明だが、マイクロプラスチックは汚染物質を吸収する性質があるため、有害である可能性も否定できない。そこで、現在は体内に取り込まれたプラスチックの危険性を視野に入れた研究が進んでいる。本発表では、こうした研究を紹介しながら、早急な対策の必要性を訴えたい。
Eric Bippert (University of Texas at Austin)
近年、日本ではBL(ボーイズラブ)というジャンルが飛躍的に人気を集めてきた。その背景を探るために、BLのルーツを辿りその特徴を捉えることで、なぜ男性同士の恋愛を描く物語が女性向けのジャンルとして人気になったのかを考察する。さらに、現在のBLにおける同性愛のイメージを過去の日本文学にあらわれた描写と比較することで、同性愛に対する意識の変化や過去との繋がりなどを浮き彫りにできるはずである。本発表では、BLというジャンルを通して、メディアの及ぼす社会的な影響、そしてそのジャンルが生まれた環境との関連性に脚光を当てる。
Donald Bradley (Indiana University)
1960年代以降、フォークミュージックにおいてアメリカらしさと日本らしさとの関係は議論となっている。戦後の米国の占領下では様々な経済的・文化的影響が日本にもたらされた。60年代のフォークミュージックはコスモポリタニズムに触れられるものとして日本のエリートを中心に普及したが、その後アメリカのフォークリバイバルと同様に一般化し、民謡のような形をとった。この音楽の大きな変遷は、60〜70年代の日本社会における政治的な意識や言説を反映したものであると言える。日本におけるフォークミュージックには長い歴史があるが、60〜70年代のフォークブームにより、人々は音楽の政治的な役割について考え、議論をするようになったのである。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Matthew Carroll (University of Michigan)
現在急速に普及しているコーチングは、カウンセリングやメンタルトレーニングとも重なるところが多い。本発表では、まずその違いや類似点を明らかにし、コーチングの長所や短所について述べる。さらにコーチの実例をいくつか紹介し、経済的観点からも考察する。コーチングには公的な資格がないため信頼性が見極めにくく、詐欺同然の行為を行うコーチの存在も指摘されている。コーチング業界全体が謎めいていて怪しいという印象を与えていることも否定できない。しかし、詐欺師がいても、公的資格がなくても、コーチング自体は役に立つものであることを論じる。
Joseph Cary (Furman University)
文部科学省の「高等学校学習指導要領解説保健体育編」などには性暴力についての記述がなく、日本政府は性暴力を防止する教育の責任を放棄しているといえる。その結果、性暴力は個人的な問題であると誤解され、加害者・被害者ともに認識が低く、周囲も対応できていない。デートDVと性暴力の関係性は近く、生徒がデートをし始める中学校から授業で性暴力を扱い認識を高めること、そして、教師と関係が良い生徒は性暴力を行う可能性が低いという研究結果を踏まえて教師と生徒の関係性の構築を行うことなどの必要性がある。日本の社会を安全で健康的にするためには、性暴力の予防と防止に関する項目を学校教育の一環として取り入れるべきであると主張する。
Joshlyn Castillo (University of Hawaiʻi at Mānoa)
ファッションの流行を追うという我々の行動が環境に悪影響を与えていることは、今まで以上によく知られるようになっている。ファストファッションには、低所得者層の人たちには必要な衣料品が手に入れやすいというメリットがあるが、労働者の搾取・児童労働・環境破壊などの地球規模の問題との関係が深いという負の側面もある。環境に配慮したファッションブランドとして名前があがっている大手企業でさえ、これらの問題を深刻化させている可能性もある。そこで、ファストファッションの意味と環境への影響、大手のファストファッション企業と現在の世界の出来事との関係、またこれらの問題を意識して個人が服を選ぶことの重要性について述べる。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Cassidy Charles (George Washington University)
自民党の派閥は日本政治の根幹を担う役割を果たしていると言える。派閥の成り立ちや構造が理解できると、総理大臣の決め方もわかるようになる。議院内閣制を導入している日本では、与党である自民党の総裁が総理大臣となり、その総裁は派閥の力関係によって選ばれるからである。つまり、勢力を持つ派閥によって国の方向性が決まると言える。では、自民党の派閥の根本にあるものは何だろうか。それぞれの派閥のリーダーは誰なのか。派閥と総理大臣にはどのような関係があるのだろうか。これらの質問に答えられるよう、本発表では自民党の派閥について簡潔に紹介し、派閥が総理大臣の選出にどのような影響を与えるかを説明する。
Daniel Chenevert (Yale University)
各国の言語には互いに共通する性質もあれば、独自の特徴も存在する。言語の文法的な仕組みを対象とする統語論の分野も例外ではない。本発表では、統語論的な多様性と普遍性を示すため、英語を基準として、日本語における変形文法の過程の一つである “移動” について考察する。特に、英語と日本語での疑問詞の移動の過程を比較し、その移動特有の制約の可能性について検討する。また、日本語の名詞修飾節について、一見単純なその表層構造に隠れた深層を分析し、日本語の基底構造が各言語の構造とどのような共通点を持つかを明らかにしたい。
Thomas Choi (Indiana University)
関東と関西に挟まれた東海地方には、日本人でさえその魅力に気付かない方言、三重弁が存在する。三重県のある東海地方は、関東地方の一部だと誤解されることが多い。確かに関東地方からの文化的な影響は大きいが、三重弁の事情はさらに複雑である。三重弁は、アクセントの上では関西式アクセントだが、語彙は東海地方の他の地域と共通のものも多い。また、三重弁でしか見つけられない表現も多い。東海と関西の影響が混ざり合い、独特な三重弁が生み出されたのだと考えられる。この発表では、文末表現や語彙における三重弁の特徴的な例を挙げ、さらに三重弁の魅力も皆さんに紹介したい。
Zahid Daudjee (Princeton University)
田山花袋の「露骨なる描写」と題するエッセーは自然主義の端緒とされる。そこで焦点となる「技巧を蹂躙する」という概念は、技巧なしで思考を文章化することである。たしかに、自然主義の台頭が加速させた「文章の口語化」とともに、文章を書く作業は個人の内言たる口語を直接書き出す作業と見なされるようになってはいた。しかし、このような文章はありえるのだろうか。また、芥川龍之介が指摘したように、内言と口語は必ずしも一致しないのではないか。本発表では、森鷗外と谷崎潤一郎の文章論を取り上げ、自然主義者の言語意識への抵抗の歴史的意義を論じる。更に、谷崎と鷗外の、着想から言語化までの過程を検討し、「製造」としての執筆に対する認識と反自然主義の関係性を述べる。
Joseph Decker (Indiana University)
現代における巡礼とは何だろうか。かつて日本の巡礼は宗教と深い関係があったが、現代の「世俗化」された日本では巡礼にはどのような役割があるのか。巡礼に関するメディアを分析すると、現代は巡礼が「再生」されており、宗教的な意味合いよりも、「伝統文化」、「歴史」に触れる場として捉えられていることが指摘できる。したがって、現代の巡礼は構造的に新たな観光の枠組みに位置づいているといえる。本発表では、巡礼する人々と巡礼を支援する人々の両者によって、巡礼がどのように再発見され再利用されているかを検討する。特に、再生四国遍路運動の過程で「お接待」という伝統的な宗教的慣習がどのように新しい意味を帯びてきたかを考察する。
Ryan Distaso (George Washington University)
日本は米中関係において生じる問題に巻き込まれる可能性が高いため、日本と日本の企業は外生的な非市場リスクにさらされている。グローバルなサプライチェーンの相互接続性を考えると、規制の変更、外交危機、高関税率、輸入割当、あるいはその他の自由貿易への障壁はすべて、中国で事業を行う日本企業に累積的なリスクをもたらす可能性がある。日本政府は、中国との相互依存関係を維持するために十分なサプライチェーンを中国で展開すると同時に、米中関係の政治的リスクから企業を守ためにサプライチェーンを多様化するなど、相互依存とディカプリングとの適切なバランスを見つける必要がある。
Josh Feng (Yale University)
本発表では、人類学の文脈で考える時空の流動性を探求する。この試みの根源となるのは、感知と主観的な世界形成の関係性である。まず理論生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界」(ドイツ語:umwelt)という概念を紹介し、マダニ、ロブスター、そして人間の環世界について幾つかの例を挙げる。また、文化人類学者の箭内匡が『イメージの人類学』で示した「脱+再イメージ化」の概念を用いて、一つの環世界の中でも複数の知覚世界が共存していることを提案する。最後に、人類学における、物質的な現実に根差した主観性の重要さに焦点をあてる。
Jessica Ferauge (University of Washington)
近年、世界において性的マイノリティについての理解が進みつつある。とりわけ日本では、ゲイをはじめとして、レズビアン、トランスジェンダー、バイセクシャルといった多様なアイデンティティに対する理解が浸透しつつあり、政治的な話題にもなっている。しかし、男女二分化以外のアイデンティティはどうだろうか。アメリカではエイジェンダーやノンバイナリーというアイデンティティが認められ始めたが、一方、日本では「Xジェンダー」という、女と男という枠組みに従わない性自認を表現する日本独自の言葉が最近になって知られるようになってきた。本発表では、「Xジェンダー」という表現の定義、由来、現状、そして関連の用語を説明しながら、男女二分化以外のアイデンティティと、人々の性自認の多様性と複雑さに光を当てる。
Andrew Fischer (University of Cambridge)
細川家は、もともと室町幕府において中心的な役割を担う守護大名であった。しかしその後信長に近づき、その死後は秀吉、家康と天下人の間を渡り歩いたことで知られる。本発表では、安土桃山時代という日本史上の過渡期に細川家当主であった藤孝を中心に、細川家が生き残りのための政治的手段として用いた「政治的忠節」に着目し、どのようにして肥後細川家の基礎を築いたかを探る。これにより、織豊政権における地域支配及び大名家との主従関係の実態の解明を試みたい。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Anna Ford (University of Illinois at Urbana-Champaign)
本発表では日本のホラー映画とアメリカでリメイクされたホラー映画について分析する。この分析を通じて、ホラーと文化の関係やどのようにホラーを翻訳するかという点についても考察する。特に注目するのは、超自然的な身体がどのように表されているかという点である。ホラー映画や超自然的なものを見ると、人々の社会的な不安が浮き彫りになる。超自然的な登場人物の動きと話し方は身体の不自由さが強調されている。ホラー映画は、エンターテインメントであるが、実は根深い社会的不安を視聴者に見せているという点を指摘したい。
Michael Frazer (The Ohio State University)
日本貨幣史において、物々交換からメタリズム、そして不換紙幣へという進化が見られる。本発表では物々交換、メタリズム、そして不換紙幣とは何かを定義し、古代から1971年のニクソンショックに至るまでの貨幣・紙幣の進化を説明する。具体的には米、絹や牛、そして金、銀、銅への移行、さらに円の誕生までの推移をたどる。また、明治時代におけるキーパーソンである松方正義が行った行財政改革と戦後の改革について一部を紹介し、近代日本は必ずしも継続的に金本位制度を導入していたわけではないことを論じる。
Rosaley Gai (Stanford University)
『食道楽』は1903年に村井弦斎によって著され、大衆から人気を博した小説である。当時は文明開化の気風により、政治制度から日常生活の習慣に至るまで、社会の諸側面が大きく変化を遂げた時代であった。そんな中『食道楽』は、開化期の思想的革命を背景に、読者の「料理」に関する固定観念を改善しようとした。作者は小説を通し、消費者である読者に料理の実用的情報を紹介し、ある意味で “啓蒙” しようとしたのである。本発表では、『食道楽』で消費者に提示された様々な情報の中から、明治時代に解禁された「肉」を使った料理の登場するシーンにおける会話を読み解き、「美味しさ」という概念を表現手段として多用した経緯と背景を考察する。
Mohamed Wafyedeen Gasmi (University of British Columbia)
戦後から現在にいたるまで、日本の世論は安全保障や防衛政策に関して「現状維持」を希望する傾向が強かった。しかし、世界情勢が揺れ動く中、防衛政策をめぐる世論は大きく変化する。防衛費の増額が、若年層をはじめとする国民に支持されるようになったのである。何がこうした世論の変化を生み出しているのであろうか。この発表では、世論調査やインタビュー記事を用いて、国際紛争や、変化しつつある国家間の力関係といった要因を検証する。そして、ウクライナ侵攻が引き金となり、日本国民が自国に対する防衛上の脅威について、より深刻に考えるようになったことを明らかにする。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Morgan Hearne (Macalester College)
2020年の学習指導要領改訂により、小学校における英語教育は大幅に変わった。「外国語活動」として位置づけられていた英語が教科として義務化され、その変更の過程において様々な問題が生じている。成績をつけることや指導者の適正などが問題点として指摘されているが、本発表では、カリキュラム移行に伴う教科書の変更が一斉に行われた点も問題視する。さらに現場教師へのインタビューから得た情報をもとに、教師の支援策を提案する。
Christine Johnston (University of Chicago)
シティポップとは、日本のバブル時代に登場し、明確には定義されていない音楽のジャンルである。欧米、特にアメリカの音楽の影響を受け、シティポップは特に海外の若者の間で2、3年前から急速に流行してきた。本発表では、バブル時代の音楽としてのシティポップの背景、YouTubeやTikTokといったソーシャルメディアを通しての現代における復活などを取り上げる。また、シティポップが海外の若者に流行した理由の考察も試みる。
Oğuzhan Kaya (University of British Columbia)
一般的な認識とは異なるかもしれないが、日本の大衆文化は全体として、軍国主義、ファシズム、帝国主義などの概念と常に関わってきた。しかし最近の作品はこれら概念の扱い方を変え、自由主義の価値をうたいあげた80~90年代とは対照的に、帝国主義が保守的な立場から描写される傾向にある。本発表では、マンガならびにアニメ作品『進撃の巨人』の前半部が、大衆文化産業に歴史的に存在してきた方法を通して帝国主義のイデオロギーをどのように表現しているかを分析する。具体的には、『進撃の巨人』に「非人間化された主体」がどのように現れるか、そしてそれが日本の帝国主義の歴史や文化的創作とどのように関係しているかを論じたい。本作は、戦時のアニメーション作品と同じように、「他者」の描写に「種差別」と呼ばれる手法を取り入れているというのが発表者の主張である。
Stephanie Korb (University of Wisconsin-Milwaukee)
役割語というのは、日本のメディアにおいて特定のキャラクターを表現するために使われる、人物像によって異なる言い回しである。しかし、役割語が効果的な媒体として人物像を表すためには、ステレオタイプに関する文化的、言語的な共有知識が必要である。今回の発表ではメディアコンテクストが日本からアメリカへと変換されることによって役割語はどのように変化するのか、また、ハリウッド映画でこの現象は日本語の字幕上どのように反映されるのかについて検討する。特に日本語に翻訳されたハリウッド映画に登場する女性とネイティブアメリカンの話し方を中心に分析する。
Jaylene Laturnas (The University of British Columbia)
没後74年、太宰治の生誕と忌日を記念する「桜桃忌」には、現代でも数多くの若いファンがその墓前に集まる。本発表では、社会の変動を最も感じている若者たちの現状に焦点を当てて、この現象を分析する。特に、太宰文学のテーマである独特の「優しさ」と、読者に直接呼びかける「潜在的二人称」の説話体などを取り上げ、海外でも起こっている “太宰ブーム” の一例を紹介する。最後に、太宰の文学はなぜ若者の心に響き続けるのかを論じる。
Benjamin Lee (Johns Hopkins University School of Advanced International Studies)
この十年間のアメリカと中国の競争激化は国際政治上の懸念材料となっており、その影響は軍事、経済、技術など多方面に及んでいる。そのため、日本とアメリカの間では、米中競争の中での日米同盟の役割をめぐって様々な議論が重ねられている。本発表ではまず米中競争の原因と特徴を説明し、日米が協力して新しい地域秩序を構築する必要性について論じる。特に経済と技術面で日本とアメリカは国際的なルール作りに注力する必要がある。最後に、変動する世界の中で民主的、平和的な価値を守る秩序を構築する責任も日米同盟にあることを論じる。
Dean Leininger (University of Colorado at Boulder)
本発表は、まず啓蒙思想が提示する主体(人間)と客体(動物や物)の定義を説明し、啓蒙思想の世界観を受け継いだモダニズムとポストモダニズムの概念の問題点について論じる。また、文学とエンターテインメントにおいて扱われた人工知能に対する恐怖の例をあげ、啓蒙思想の世界観を壊す「人間ではなく、明らかにただの物でもないモノ」が現代社会においてどのように機能しているかを検討する。
Nicholas Leung (Cornell University)
科学はヨーロッパで発展したものであるため、歴史的に日本は常に外国の概念として科学を輸入してきた。明治時代になると、多くの日本人科学者が欧米に留学し、欧米の著名な科学者の下で科学を学び、そこで吸収した科学知識を日本に持ち帰った。やがて、日本の科学者は独自の研究を行うようになった。戦後、日本人科学者の留学のあり方は変化し始めた。学生としてではなく、欧米の研究者に招かれ、共同研究者として留学するようになったのである。本発表で紹介する下村脩はその典型例である。下村の生涯を振り返ることを通じて、どのようにこの変化がもたらされたか、そして現在、下村の研究は生命科学に対してどのような影響を与えているかについて分析する。
Tianyu Li (The University of British Columbia)
「戦闘美少女」とは、アニメやゲーム、ライトノベル等で戦闘する女性キャラクターである。一般的に戦闘美少女は日本特有の存在として扱われている。しかし、中国にも戦う少女が登場する伝説や演劇が存在し、近年では『原神』や『アズールレーン』等の中国の戦闘美少女ゲームの人気が世界中で高まっている。本発表では、まず、ポストモダン的な「美少女」及びその消費のされ方、いわゆる「データベース消費」について紹介する。次に、木蘭をはじめとする中国戦闘美少女の歴史的変容に基づいて、その消費のされ方、いわゆる「物語消費」について検討し、その独自性を示す。
Jung-An (Andrea) Liu (University of California, Berkeley)
明治神宮とその鎮守の森は、明治天皇の偉業を顕彰するため、あるいは明治という時代の象徴として建てられた。しかし、日本の環境史と建築史において重要な場所であることはあまり知られていない。実は、明治神宮の建築に使われた木材の大部分は植民地から集められ、鎮守の森も、植民地を含む帝国各地から集めた樹木を植えて人工的に作られた。これまでの研究は、鎮守の森がいかにして天然林に見えるように作り上げられたかに焦点を当ててきた。この発表では、森の「植民地構成」とその構成の意味に目を向け、エコクリティカルなレンズを通して、自然の要素の利用と関連づけ、明治神宮の文化的、政治的な意味を包括的に理解することを目指す。
Kerry Lowell (University of Minnesota)
19世紀以降帝国主義国家が誕生したが、その力を行使するためには強い陸海軍が必要であった。大日本帝国において戦時医療を負担したのは、従軍看護婦、すなわち日本赤十字社の看護婦たちであった。彼女たちは招集を受け入れ、戦地の病院に派遣され、戦傷病兵を看護した。第二次世界大戦中は「お国のために」任務をはたした上殉職した看護婦もいた。しかし、彼女たちは日本社会の憧れの女性像でもあった。ところが、戦後、看護婦の行動や犠牲は、社会、政府、国際裁判においてあまり認知されていない。この発表では、日本の従軍看護婦の体験を通して、戦争の中で、どのように女性が扱われるかを論じる。
Alexander (Alex) MacNeil (University of Chicago)
本発表では、戦後日本で開催された国際博覧会の分析を通じて、現代日本における未来像がどのように抱かれてきたのかを検討する。ここでは三つの万博を取り上げ、以下の点を指摘する。すなわち、1) 1970年の大阪万博が20世紀中期の「情報化社会」という未来的な言説を表現したこと、2) 2005年の愛知万博が「持続可能な開発」の矛盾を示したこと、そして3) 来たる2025年の大阪万博が機械知能により統制される「スマート」な未来を唱えていることである。本発表においては、万博が国家および関係者にとって国家発展戦略を打ち出す場であり、社会的、政治経済的プロトタイプ作成の場とされていることを前提とする。その上で、万博により「未来」のイメージがいかにデザインされ、いかに形成されるかを把握することが可能になると考える。
Elena Mailander (University of California, Santa Barbara)
戦利品は歴史についてどのようなことを私たちに教えてくれるだろうか。この発表では、私が偶然手に入れた古い科学辞書を例として、その辞書そのものの歴史を明らかにするだけでなく、その背後にある戦中日本の科学の勝利と闘争の物語を炙り出したい。このように、一見珍しくない物から興味深い歴史を浮かび上がらせることができるのだ。さらに、戦利品一般についても触れたい。戦利品は誰のものか、あるいは誰が持つべきものだろうか。
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Isak McCune (Sarah Lawrence College)
20世紀初頭、東西文学交流が盛んになりつつある中、アイルランドの劇作家ウィリアム・バトラー・イェイツは、アメリカ人作家エズラ・パウンドから能を紹介された。パウンドはいくつかの能の英訳に携わっていたが、日本文学や文化などに対して初歩的な知識しかなかったため、誤訳と独特な解釈が生じた。これらはイェイツが能の要素を取り入れて創作した戯曲に反映している。本発表では、原作である『源氏物語』「葵」の巻を出発点として、能の「葵上」、パウンドの翻訳、イェイツ作『エマーの嫉妬』までを辿り、その過程で生まれたずれを分析する。特に中世日本で重視された仏教と近代西洋で重視された心理学がテキストへ与えた影響を比較する。
Daniel Morales (University of New Orleans)
外国語学習は、段階が進むにつれて徐々に母語の勉強と似通ってくるのではないだろうか。文章表現技術の習得はとりわけそうである。文章を書くことは単なる言語の練習というより、むしろ言語を超えた思考自体を磨き、読者を納得させようとする行為である。そのため、ライティングに関しては現在の外国語学習の方法を見直し、母語の学習過程を参考にする必要があると思われる。そこで本発表では、日本のエッセイを読み、それらの形式を理解した上で文章を書くという日本語学習シラバスを提案してみたい。まず、エッセイという一つのジャンルの文章の分析方法に触れてから、複数の作家とその作品を紹介する。最後に修正にかかるための方策も提案する。本発表を準備する中で自覚したのは、執筆と修正は外国語でも母語でも結局苦しい作業なので、ある程度の心理的な準備も不可欠だということである。
Raffaele Papa (Ca’ Foscari University of Venice)
19世紀のイタリア社会を風刺した、カルロ・コッローディによる『ピノッキオの冒険』というストーリーは世界中で愛され、日本でも今日まで数多くの翻訳本が出版された。あるストーリーの挿絵からはそれが出版された社会についての情報が得られるので、その挿絵の描き方を分析することには意義がある。特に、複数の翻訳がある場合は、いくつかの年代に亘って分析することで社会の変化もわかる。極めて暴力的な物語である『ピノッキオの冒険』の場合には、日本社会における暴力の扱い方と欧米に対する態度の変化が見えると考える。そこで本発表では、『ピノッキオの冒険』にある挿絵の描き方の変遷とその意味について考察する。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
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Sarah Puetzer (University of Oxford)
日本の新世代の女性作家の中で、詩人・作家の最果タヒは生産性が非常に高いと言える。絶えず新しい詩集、小説、短編集、随想集を出版し、SNSでも積極的に作品を発表することで伝統的な手法とは異なる作品制作方法を試み、私たちが考える普通の「文学」や「詩」の概念に挑戦している。本発表では、実験的手法が特に際立っている「きみはPOP」という短編小説を例として紹介し、分析する。この作品の特徴は、言葉が様々な場所、建物、商品などの写真に書かれていることである。制作方法と内容の繋がりはどのように分析すべきか、という問いについて考察する。
Blake Radcliffe (University of Washington)
2022年現在、日本ではいまだ同性結婚を法律で認めていない。法律の代わりに多くの自治体はパートナーシップ制度を採用している。パートナーシップ制度では同性同士のカップルを婚姻相当の関係と認めているが、結婚と同等の権利を保証するものではない。本発表では、法律で認められていない同性婚にはどのような問題があるか、同性婚に対する日本人の意識はどのようなものかについて明らかにし、同性婚を法律で認めさせるための私見を述べる。
Jazmin Ramos (University of Wisconsin-Milwaukee)
小説や漫画などのメディアは社会の習慣、価値観、状態をリアルに描き出す。本発表では、日本におけるレズビアンの経験を分析するために、二つの自伝的な作品を比較する。それらは1919年に出版された『屋根裏の二処女』という小説と、2016年に出版された『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』という漫画であり、両者の間には約100年の時間的な隔たりがある。二つの作品に描かれた体験の共通点と相違点の分析を通して、日本の「レズビアン経験」の変化を探りたい。
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Christopher Shimamoto (Columbia University)
2022年2月のウクライナ侵攻を受けて、日本はウクライナ国民への支援を開始するとともに、G7などの同盟国や友好国とともにロシアに対して厳しい制裁を課した。また、ロシアを対象とする経済制裁に加えて、ウクライナに殺傷能力のない防衛装備品を供与するという異例の措置に乗り出した。この対応策は日本の外交政策においてどのような意義を持つのか分析する。
Arden Taylor (University of Washington)
平敦盛は平安時代の男性性を示す代表的な存在だとされているが、彼の容貌にかかわる描写の特徴の一つは、女性らしい美しさを表わす表現が用いられていることである。本発表では、平安時代から鎌倉時代にかけて変化しつつあった男性の理想像を、敦盛の描写を中心に探る。平安貴族特有の男性性の表現方法はどのようなものなのか、敦盛はどれほど当時のジェンダーの基準に合致していたのか、そして、敦盛のような男性性は平安時代以降も残存したのだろうか。この点を探るために、『平家物語』における「敦盛最期」というエピソードと、謡曲「敦盛」を分析する。
James Wronoski (Stanford University)
中上健次は被差別部落出身であることを公にしている少数の作家の一人だが、初期の作品は「場所」という概念とその不安定さをめぐるものとなっている。中上にとっての「場所」は具体的には出身地である和歌山県の新宮であるが、同時に、「居場所」としての「場所」はより複雑で、定義し難い。このより微妙な「居場所」は中上の後期の作品では新宮、部落などの地域性を超えた「路地」というリゾーム的な概念になっている。評論家吉本隆明は中上を「においの作家」、柄谷行人は「聴覚的作家」と評しているが、本発表ではさらに広い視点を付け加え、「自分」と物質的環境との境となる「身体」を、「居場所」を代表するものとして検討する。主に1976年の芥川賞受賞作「岬」を軸とし、中上が「自分」でいられる「居場所」を身体感覚に位置づけたことに注目したい。