2023-2024年度 卒業発表会内容紹介

新宿二丁目研究における日本の社会科学者によるアプローチ

Max Andrucki (Temple University)

東京の新宿二丁目はゲイ・タウンとして世界中で知られている。しかし、英語圏の地理学者からは学術的な研究対象としてあまり注目されてこなかった。そのため、「二丁目」は西洋の大都市のゲイ・タウンとほとんど同質であると表面的に考えられている。そこで本発表では日本の地理学者や社会科学者が「二丁目」の独特な空間をどのように理解しているかを探る。日本の研究者が「二丁目」をどのようなアプローチから捉え、どのような点に注目をしているかを考察することを通じて、「二丁目」のゲイ・タウンとしての存在を再検討したい。

歴史の町 河内長野との出会い——日本遺産から中世の日本を知る——

Alana Barry (Johns Hopkins University)

日本全国には、文化的、あるいは歴史的に重要な場所として日本遺産に認定されている場所が100以上あり、それぞれが独自のストーリーと背景を持っている。本発表では、その一つである大阪府河内長野市を紹介する。中世文化遺産の宝庫として知られる河内長野市には、空海と関係をもつ金剛寺と観心寺という二つの寺があり、これらは関西地方における仏教活動の重要な拠点であった。観心寺は重要な巡礼路の一部であり、金剛寺は当時その地域で女性の参拝を許した数少ない寺院の一つとして知られている。この二つの寺の歴史と私が訪れた際の体験を述べ、日本遺産を通してこの国の豊かな歴史をいかに理解できたかを報告する。

スタートアップ企業と日本経済における持続可能性

Lydia Beukelman (Hope College)

本発表では、スタートアップ企業が日本の経済や社会に与える好影響と、その持続可能な発展に向けた支援の重要性を論じる。まず、日本のスタートアップ企業が社会的課題への対応や経済の活性化において重要な役割を果たしていることを述べる。次に、社会的貢献の実例として、高齢化社会や労働人材不足などの課題に取り組んでいるスタートアップ企業を紹介する。最後に、社会的使命を持つ投資家やベンチャーキャピタルなどがスタートアップ企業を支援する重要性を取り上げる。

古代の日中交流——変化と連続——

Ilya Bobkov (University of California, Berkeley)

日本遺産である太宰府を訪れ、古代の日中交流について考える機会を得た。奈良・平安時代の日本と唐・宋朝期の中国との交流は複雑な歴史を持ち、その分析のためには、歴史・文学・考古学の資料を用い、学際的に研究する必要がある。この発表では、まずグローバル化についての考えを述べ、次に古代日中交流史を簡単に説明し、中国の唐宋変革によって、日中の朝廷による使節の派遣から商人を中心とした貿易へと交流の形が変化したことを論じる。

海外からも評価される是枝裕和——演出スタイルと影響を受けた人物を中心に——

Thomas Boughton (University of York)

是枝裕和は現代日本の最も重要な映画監督であると言えるだろう。2018年に『万引き家族』でパルムドールを受賞した是枝の表現豊かで思慮深い演出スタイルは、メロドラマ性をほぼ排し、家族の力関係や「普通」の人々の生活を探求することに注力している。本発表では、1950年代と60年代の写実主義を得意とした3人の監督がどのように是枝の演出スタイルに影響を与えたのか、また是枝がどのように自身の作風を創り上げていったのかを検証する。

言語習得を促進するための環境づくり

Nathan Bynum (Pittsburgh Obama Academy of International Studies)

自身が勤務するオバマアカデミーの生徒には家庭の問題や過去の学校でのトラウマを抱える生徒が少なからずいる。彼らは日本語の授業において典型的な外国語の教授法が合わず、授業に集中するのが難しい。このため日本語教師には、日本語に興味を持たせること、会話ができたという成功体験を与えることなどが求められる。本発表では、同校での実践をもとに、まず、学習のための環境作りの重要性を明らかにする。続いて理解可能なインプットを重視した教授法を紹介し、それに基づいた教案を提示する。結論として、理解可能なインプットを軸とし、脅威を与えない学習環境を作ることで、言語習得が促進されることを主張したい。

北海道の炭鉱において形成された共同体——アパラチアとの社会学的観点からの比較——

Caralee Casto (University of Washington)

日本でも米国でも、産業革命期には、炭鉱業は主要な産業であった。炭鉱は地質的な条件に左右されるために、社会的な特徴を有する場所となった。特に、北海道という日本最北の地域と、アパラチアという米国東部の山脈にそれが顕著に見られる。このような「炭鉱まち」は共同体内で強く支え合うという共通点によって特徴づけられる。具体的には、炭鉱夫だけではなく、生活水準の向上を要求した女性達の組織や、高い給料や閉山後の就職を求めて団結した労働組合が支え合い、共同体を形成していた。本発表では、炭鉱が社会的・地理的に「周縁化」された場所であることと、炭鉱が危険であっても不可欠な産業であるということが、このような共同体が形成された背景であると主張する。

文学作品にみる沖縄戦体験の再物語化——目取真俊「水滴」を中心に——

Ruikun Chen (University of British Columbia)

本発表は沖縄の作家、目取真俊の芥川賞受賞作「水滴」(1997)に着目し、沖縄戦に関するナラティブがどのように身体をめぐるマジックリアリズムの視座から再物語化されたかについて考察する。物語の中で、主人公は昼間は、沖縄戦の「被害者」として行動し、小学生に対して自身の英雄的な戦争体験について嘘をつき続ける。しかし夜になると、彼の身体は戦時中の日本軍で親友を見捨てる「加害者」に戻る。この点に鑑み、本発表はこの作品(テキスト)は現代日本の国家的なナラティブや歴史修正主義者が描こうとする「被害者」としての沖縄(人)という観念に挑戦していると主張する。

ライトノベル『Dr.STONE 星の夢、地の歌』の翻訳の難しさ

Kezia Epafras (Gadjah Mada University)

日本語習得のために、『Dr.STONE 星の夢、地の歌』というライトノベルを翻訳している。センターで勉強し、かつて難しいと感じられていた文法や表現などが理解できるようになった。しかし、たとえ原文を自分で読んで意味が分かるとしても、それをほかの言語で自然に伝えることができなければ、翻訳は成功しない。このライトノベルには、いくつかの翻訳の困難な文がある。本発表では、そのうちの四例を紹介し、なぜ翻訳が難しいのかを説明する。

洋式灯台の象徴性——文明開化の象徴としての灯台——

Haroon Farooqui (University of Virginia)

日本が江戸から明治への移行期に革新的変化を遂げたのは周知の通りである。その中で、外国航路の開拓と発展により、洋式灯台なるものも日本に登場した。先行研究はその洋式灯台を技術的、あるいは外交的な観点から検討していたが、本発表は洋式灯台の文化的意義、特に一般国民の受け止め方を描き出す。主に明治初期の新聞記事と同時期・時代の事物を参照し、洋式灯台を「文明開化」の象徴として位置付けることを試みる。

「日本遺産」としての島根・出雲神楽をめぐる課題

Osasha Fertal (Trinity College Dublin)

文化を保存、継承する制度は世界各国に存在する。その例として、海外のユネスコの無形文化遺産、国内では有形・無形文化財や民俗文化財などが挙げられる。現在、日本政府はこのような文化財を「活用」するための様々な施策を講じている。その際、鍵となるのが「観光」である。本発表では、島根県の無形民俗文化財「神楽」を取り上げ、文化財の保存・継承の方法や観光が果たす役割について分析する。演者へのインタビューを通して見えてきたのは、参加者が継続しやすい雰囲気づくり、芸能が主体で観光は脇役という位置づけ、そして誰でも神楽に参加できるような仕組みであった。これをもとに伝統芸能の継承にとって不可欠な「知識・関心・支援の好循環」について考察する。

戦中戦後の「断絶と連続」を問う——生産管理闘争を例として——

James Flynn (University of Wisconsin-Madison)

歴史研究において戦中と戦後は「断絶」しているか「連続」しているかという議論が長い間続いている。本発表では、まず争議行為の一つである生産管理闘争に関する先行研究が、どちらの視点で分析されているかを整理する。次に一次史料を用いて生産管理闘争の事例を紹介する。そして、闘争が経営の民主化をもたらさなかった一方で、参加者の意識変化をもたらした点や、闘争の一環として文化活動が行われた点に注目し、「断続か連続か」という議論の問題点を示す。最後に、両者を含む新たな視点から歴史研究を行っていく必要性を主張する。

東アジアの近代化と陽明学の超越性

Jonathan Hackett (University of Wisconsin-Madison)

本発表では、陽明学に影響を受けた人物の例として、哲学者の井上哲次郎、政治家の蒋介石と毛沢東、そして作家の三島由紀夫という、時代も国も政治的背景も異なる四人をとりあげる。彼らは東アジアの近代化や西洋化に対して異なる考え方を持っていたにもかかわらず、陽明学の影響を受けていた。陽明学は中国と日本、右翼と左翼といった違いを超えて、国家建設や革命を方向付ける哲学として理解することが可能であると論じる。

オンラインコミュニティのコミュニケーション行動パターン

Galen Hughes (Georgia Institute of Technology)

本発表では、あるオンラインコミュニティにおけるコミュニケーション行動のパターンから、コミュニティの価値観について述べる。バーチャルYouTuber「グラ」の生配信時のチャットデータ約25万件から必要な情報を抽出し、分析を行った。その結果、上位100語の頻度分布によって、情報伝達・意見交換などのためではなく、共感を確認しあったり情動を表出したりするために、コミュニティ特有の合言葉が多く用いられていることがわかった。さらに、「グラ」のキャラクターへのコメントに用いられる語彙の分析によって、安心感や癒しを重視していることが明らかになった。

「白痴」はいかに語られるか——坂口安吾「白痴」をめぐって——

Tzu-Lu Hung (University of Washington)

人間は言語を用いて意思を他人に伝える。坂口安吾が短編「白痴」で描くのは、知的障害があり、言語を持たない女性だ。障害のため社会的枠組みの外に置かれた「白痴」は、語り手である伊沢が理想や欲望を投射できる対象となる。「白痴」は一見受動的だが、伊沢の感情を引き起こす力は激しい。戦争や仕事という現実から脱出したい伊沢は、時に「白痴」を愛しい女、時に唾棄すべきモノと見なすが、それはどちらも自分が無力で卑小ではない証を「白痴」から見出したいという切望ゆえである。本発表では、視点によって変容しながらも「語らざるをえない他者」としての「白痴」を検討する。

情報化時代におけるファンとアイドルの関係

Aandi Hunt (University of Pennsylvania)

好きなアイドルやアーティストのコンサートを鑑賞したり、あるいはアルバムや関連商品を購入したりすることは、ファン行動の従来の形である。しかし、インターネットが普及した現在では、デジタル技術の進歩と共にこの形態に変化が起きている。本発表では、日本や韓国のアイドルグループを例として、ファンがインターネット上の活動によってどのようにアイドルグループを応援しているかについて紹介し、インターネット上のやり取りがファン心理や行動に及ぼす影響について分析する。

体と機械——前衛映画の装置による女性の体現——

Jessi Ivie (Brigham Young University)

前衛映画では人間の体と映画の機械は抽象化され、装置として統合される。言い換えれば、体は映画という枠組みにはめられ、映画を意味づける装置のもうひとつの道具となる。女性の登場人物が抽象的、客観的、不安定な手法でスクリーンに映し出されるとき、「人間らしさ」という概念そのものが解体されるため、物質的実体のない映画という媒体で具現化される女性たちについて考える必要がある。日本の前衛映画の分析によって、体と機械の関係から女性の登場人物の存在について解釈することができるだろう。

「アートの名のもとに」——横浜トリエンナーレにおける政治的メッセージ——

Tianyi Jiang (Columbia University)

本発表では芸術と政治の関係や芸術に関する解釈はどのように展開すべきか、また「解釈の自由」はどう理解すべきか、「自由」には限界があるのかなどの問題について論じる。事例として、日本最大級の国際現代美術展覧会である横浜トリエンナーレで展示された政治や人権に関わる作品と、それらが伝えるメッセージを検討する。「野草:いま、ここで生きてる」をテーマに、今回のトリエンナーレは魯迅の作品の精神と哲学を踏まえ、コロナ禍とその後の世界が直面している危機や社会的課題などを多様な芸術作品を通して表現している。現代社会が立ち向かわなければならない問題や衝突を現出させ、それらの課題と奮闘の重要性をさらに実感させるための空間としているのである。以上のことから、横浜トリエンナーレにはどのような社会的影響があるのかについて考察する。

弘法大師の足跡をたどって

Michael Judd (SOAS University of London)

弘法大師は奈良時代末期から平安時代初期の僧で、真言宗を開いた。高野山で62歳の生涯を閉じた後、その足跡をたどるために多くの僧が、生誕地である讃岐国(香川県)や四国各地を訪れるようになった。現在でも弘法大師ゆかりの寺院を巡礼する四国遍路は、日本人だけではなく多くの外国人をも引きつけている。本発表では、四国遍路の15霊場を巡った自身の体験と、700年前に書かれた英国の巡礼地に関する本をもとに巡礼の魅力を考察する。

日本の武器輸出の変遷

Samuel Leiter (Massachusetts Institute of Technology)

1967年に共産圏、紛争当事国等への輸出禁止を定める「武器輸出三原則」が採用され、1976年には武器輸出の実質的な全面禁止に改められるなど、ほぼ50年間にわたり、日本政府は武器輸出に関して慎重に対処していた。しかし、2014年に特定の条件の下で輸出を認める「防衛装備移転三原則」が新たに策定され、近年、武器輸出の促進と国内防衛産業の維持強化が図られている。本発表では、日本の武器輸出政策の歴史、最近の改定の理由、今後の見通しについてまとめる。さらに、日本の国内防衛産業が直面している課題を踏まえ、輸出規制緩和支持者の主張を分析する。

化粧品の化学

Linda Li (Yale University)

「化粧品」には、メイクアップ商品に限らず、石鹸などのスキンケア商品も含まれている。ほとんどの人々は健康上・美容上の効果のため、化粧品を多かれ少なかれ利用したことがあるだろう。しかし、そもそも化粧品が機能する仕組みとはどのようなものだろうか。化粧品は人間の皮膚自体の構造と働きに基づいて作用する。では、化粧品は皮膚の構造に応じて、その機能をどのように補助するのか。また、具体的にどのような過程で健康な状態に戻していくのか。さらに、化粧品を生産する場合、どのような配慮をしなければならないのか。本発表では、化粧品を化学的な側面から分析する。

表現の芸術——マンガという語り口——

Shuning Li (University of Illinois, Urbana-Champaign)

マンガはコマ、絵、吹き出しに語りの全てを懸けた表現形式だと言えるだろう。フランス語圏のバンド・デシネやアメリカのコミックも日本のマンガに近い芸術的な表現形式を使うが、文化と歴史によってそれぞれ特徴がある。例えば、日本のマンガはセリフが縦書きであるため、右上から左下に視線を誘導する演出に秀でている。また、マンガは一ページ一ページが一枚の絵のようであり、ベタとスクリーントーンと余白のバランス、そして絵柄が表現する芸術上の主張も作品のメッセージに影響を与えている。本発表では、創作者の立場から日本のマンガにおける表現形式を紹介する。

時代小説の翻訳の可能性と限界——娯楽小説の楽しさをどのように読者に届けるか——

Alice Liu (University of Pennsylvania)

歴史・時代小説では、作品に「時代性」を加えるために、特別な話し方や用語が使用される。しかしそれが翻訳された場合、歴史的背景に詳しくない読者にとっては、理解の障害になりかねない。それならば、原作の言語的な特徴は目標言語でどのように伝えればいいのだろうか。注などをつけるだけで済むのだろうか。情報伝達の正確さと可読性との均衡を保つことは、歴史・時代小説を翻訳する上で特に重要な課題になると言っても良い。本発表では、司馬遼太郎の「果心居士の幻術」と澤田瞳子の「稚児桜」を例として、登場人物の会話の口調と作品に表れた用語を実際に翻訳する上で直面した困難や、それに対処した方法を提示する。

神道と環境主義——伊勢神宮の例——

Yutao Lu (University of Alberta)

近年、環境保護は世界的な関心事となっている。1997年の京都議定書から2016年のパリ協定まで、国際社会は世界的な環境問題に以前より一層高い関心を寄せている。本発表では伊勢神宮を例に取り上げ、現代の日本社会における神道環境主義に注目する。伊勢神宮はアニミズム的な自然崇拝を神道に応用することにより、人々の現代の神道に対する見方を徐々に変えようとしている。また、政教分離の原則の下で、神道団体や神道に関連する保守的な政治家は、世界的な環境危機を資料として、彼らの解釈に基づく神道を日本の伝統や文化として伝えようとしているのではないだろうか。

古代日本仏教の政治的背景

Jackson Macor (University of California, Berkeley)

本発表では日本仏教の重要な要素の一つである「宗派」という概念の由来を説明する。平安時代初期、南都六宗の三論宗と法相宗の激しい論争のもと、桓武天皇は数度にわたって勅を下し、年分度者制度を強化して学僧の研究分野の区別を明確にした。この政治的行動によって仏教に「宗派」という意識が誕生したのである。その歴史的経緯を明らかにするため、勅の背景となった論争を具体的に説明し、勅が年分度者制度にもたらした影響について論じる。学僧の研究分野が朝廷の承認を要するものになった結果として、元々「経典の意義」を意味していた「宗」という観念がその意味内容を変化させ、現代日本に存在している「宗派」の起源になったと考えられる。

成年者の決定と結果——日本法における未成年者の判断能力の認定——

Elizabeth Marshall (University of Michigan)

近年、日本において未成年者に特権を与える法律が数多く存在することに加え、成人年齢が変更されたこともあり、「未成年者」と「成人」の法的区別がますます不明確になっている。多くの法律は、6歳から18歳までを未成年者の成長における重要な年齢とし、それに対応する権利を認めている。したがって、新成人や成年未満の者に認められる法的権利と責任の分析を行うことで、「未成年者」と「成人」という二分法が単純すぎることが明らかになると考えられる。本発表では、未成年者の判断能力の法的認定に関する分析を通じて、こうした曖昧さを解消し得る法的未成年者と成人の境界に対する新たな認識の必要性を提案する。

刀狩り——それ以前の社会と過程——

Megan McClory (University of North Carolina at Chapel Hill)

戦国時代の混乱期は社会が大きく変動した。農民出身の豊臣秀吉が天下を治めるようになり、大名は武将と戦うだけでなく、一揆への対処という形で農民との戦いにも直面した。16世紀末期、平和を確立するための政策の一つが刀狩令であった。刀狩令には、その目的として大仏を建立することと一揆を抑えることが書かれている。大仏建立は農民に対して武器の剥奪を納得させる戦略であり、一揆を抑えるということは大名に対する戦略であった。しかし実際には、刀は武器としての役割よりも身分の象徴としての意味が強く、刀狩りは身分社会を固定する役割を担ったのである。

リズムゲーム『ラブライブ』における競争的要素をめぐって

Lillian McIntyre (University of Hawaiʻi at Mānoa)

2013年、テレビアニメ『ラブライブ!』の第1期放送終了後に、無料スマホゲーム『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』(通称『スクフェス』)がサービスを開始した。これは2023年3月に終了し、翌4月に続編である『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2 MIRACLE LIVE!』が発表されたものの、1年も経たないうちにサービスは打ち切られた。『スクフェス』は音楽ゲームとして論じられることがあるが、「競争」の側面を無視するべきではない。そしてゲームで行われる競争においては「運」と「技」の役割が重要である。本発表ではこの「運」と「技」をめぐる問題を現代のソーシャルゲームの特徴として検討し、あわせてビデオゲームの歴史を記録する営みとしてのゲーム研究の価値も論じる。

少女漫画における同性愛の多角的様相——男装キャラクターを中心に——

Rebecca Menasche (Columbia University)

少女漫画などでは異性間の恋愛を中心とする作品が多いが、男装する女性キャラクターの登場によって、異性愛を基本とする社会の前提が崩れていくことがある。本発表では、『桜蘭高校ホスト部』『気になってる人が男じゃなかった』という2つの作品から同性愛の様相を多角的に読み解く。さらに男装による性役割の逆転を通して、社会からの抑圧や常識などによって制限された状況からどのように脱出できるか検討する。女性であるがゆえの壁を自覚している女性読者にとっては、男装のキャラクターは自由の可能性を開く存在として魅力的であると結論づける。

唐文化と平安文化をつなぐ拠点——大宰府への平安人の旅——

Helena Mindlin Xavier (University of British Columbia)

本発表では、日本遺産に指定されている大宰府を紹介する。奈良時代から平安時代にかけて、日本は唐文化を学ぶために大宰府から大陸へ遣唐使を派遣したため、大宰府は唐文化の入口の役割を果たしていた。その文化的・歴史的・政治的な背景を考えながら、菅原道真という人物に注目する。道真は漢学者であり、日本で唐文化を普及させる役割を担っていた。901年に大宰府へ左遷され亡くなった後、現在の本殿の位置に祀庿が造営され、太宰府天満宮の始まりとなった。その史実を紹介するとともに、源氏物語で言及されている唐文化にも触れる。また、大宰府を訪ねる観光客がどのように昔の歴史を感じているのかを考え、大宰府の魅力を感じるための提案を幾つか行う。

日米関係の考察——「国際協調主義」と「孤立主義」の間で——

Rohan Mundiya (Tufts University)

本発表では「国際協調主義」と「孤立主義」という枠組みから日米関係を考察する。まず『テキスト日米関係論 : 比較・歴史・現状』をもとに「国際協調主義」と「孤立主義」を説明する。次に、国際関係のジャーナル『外交』に掲載された与野党の政治家の座談会記事を取り上げ、日米が協力して国際協調主義を推進する必要性を論じる。また、北朝鮮の核放棄を求める「六か国協議」において日米の足並みが乱れた理由を説明する。そして、米国政治を専門とする久保文明の「トランプ大統領の対外政策と今後の日米関係」をもとに、米国の孤立主義と保護貿易主義に対して日本がどのように対応したのかを説明する。最後に、国際政治学者の我部政明の意見を紹介し、これからの日米同盟や安全保障のあり方について考察する。

北海道の「炭鉄港」——日本の交通網への恵み——

Jonathan Myers (Georgetown University)

本発表では、19世紀の北海道の「炭鉄港」と、それが日本の交通網の発展へ及ぼした影響を紹介する。「炭鉄港」とは炭鉱・鉄鋼・港湾を指し、19世紀後半から北日本の産業革命の基盤になった。「炭鉄港」が拡大するにつれて、北海道を横断して物資を輸送するための陸上交通網の整備が必要になった。産業と交通網の発展の結果、北海道の人口も増加したが、20世紀には石油が大量に安く供給できるようになり、石炭採掘関連の産業が衰退した。そのため北海道の人口も減っていったのである。「炭鉄港」の時代は終わったが、工業社会と知識社会との繋がり、とりわけ「炭鉄港」と北日本の産業革命の記憶は現代の「資源」になるのではないだろうか。

テラス・ハウス——リアリティテレビの崩壊——

Mizuki Ohga (Macalester College)

本発表では、10年近く放送されていたリアリティ番組『テラス・ハウス』が、アメリカのメディアにおいてどのように描写されているのかを検討する。メディア学の理論に基づき、テラス・ハウスがどのように「リアル」に関する概念に巻き込まれたのか、また、一人のハウスメンバーの自殺の影響で番組が突然打ち切られたことが、どのように番組のディスクール的な枠組みを揺るがしたのかを説明する。具体的には、テラス・ハウスは比較的優れたリアリティ番組であり、リアルをさらにリアルに提供しているというディスクールが崩壊し始めたことを説明する。この崩壊は、番組の構築の根底にあるリアルさの概念を直接的に問題視するものであり、リアリティテレビについてどのように議論、比較、評価するのかについて、批判的に考えなければならないということを主張したい。

アメリカの日本語教育における短期集中学習プログラムの必要性——NGO「コンコーディア・ランゲージ・ビレッジ」を例として——

Sydney Olney (University of British Columbia)

本発表では中高生を対象とした短期集中言語学習プログラム「コンコーディア・ランゲージ・ビレッジ」を紹介する。本プログラムは日本語の学習時間を確保しやすいだけでなく、日本語のプログラムの少ない地域や低所得層の中高生に学習の機会を与えることも可能である。また公立学校に比べ、イマージョン学習を取り入れるなどの柔軟な教育ができる、日本をはじめとした外国からの支援も受けやすいという利点もある。本発表では、アメリカの日本語教育界にはコンコーディア・ランゲージ・ビレッジのような短期集中言語学習プログラムが必要であると主張したい。

日本における難民政策と受け入れ状況、および今後の課題

Samuel Patz (Vassar College)

世界的な難民の激増は現在の国際社会の切迫した課題であり日本も何らかの対応を迫られている。日本政府は1982年の難民条約発効以来、難民の受け入れに関する法律の整備および資金援助を行っているが、難民の認定率は非常に低く、例えば2022年の認定数は202人、認定率はわずか2.0%である。本発表は日本における難民政策と運用の実態およびその原因を紹介し、解決に向けてどのような課題があるのかを考察する。

ゲームならではの物語り方

Mian Qin (Yale University)

ビデオゲームは小説や映画などと比べて比較的新しい物語形式と言えるが、ゲームの中の物語要素は軽視され、物語芸術という観点から捉えられてこなかった。また、ゲームは低俗なエンターテインメントと一括りにされる傾向もある。しかし、ゲームの物語のあり方が多様化するとともに、文学や映画とは本質的に異なる物語の生産形式として発展してきた。また、ゲームならではの物語の構成を踏まえることで、小説や映画という見慣れた物語が再考されるようにもなってきた。本発表ではゲームにしかできない物語の構成について発表する。

変化しながら伝統を引き継ぐアイヌ文化

Alexis Rangell-Onwuegbuzia (Columbia University)

文化というのは、根本的に不変でも固定的でもなく、永遠に変化し続けるものだ。にもかかわらず、先住民族の文化に関する議論はたびたび、歴史的な伝統と真実性という二つの概念を合成させて、素朴な真偽論争に終始してしまう。その結果、文化が過去に固定されるという概念が作られ、先住民は現在ではなく過去のものだと見られてしまう。その上、先住民の存在や意志、そして自身の文化とアイデンティティーの意味を定義する権利がこのような言説によって否定されてしまう。そこで、本発表はこの言説を克服するために、北海道にあるアイヌ文化に関する三つの博物館と、それらの展示を比較対照する。そして、各博物館が「新しいアイヌ」という現象をどのように扱っているかを考察する。

マルチリンガリズムがもたらす多和田葉子作品の「多孔性」

Daniel Rees (University of Cambridge)

多和田葉子は、ドイツ語と日本語の両方で著作活動を行っているため、しばしばマルチリンガル作家と評される。本発表では、多和田の日独両言語で書かれたエッセイをとりあげ、そこで展開される主張を検討し、マルチリンガリズムは多和田の作品に「穴」(不明な点)を空けることでベンヤミンの用語「多孔性(解釈の多様性)」をもたらすと論じる。多和田にとってのマルチリンガリズムとは、複数の言語を話す能力ではなく、自分の理解を超えた言語的資源へと向かい続けることであり、読者はその「多孔性」を「開放性」として受け入れるのである。

漫画の英訳の面白さと未来——視覚的要素を中心に——

Anna Schnell (University of Washington)

漫画の翻訳は小説などとは異なり、視覚的要素に大きな影響を受ける。本発表では、「グレーシャー・ベ・ブックス」という独立系出版社での漫画の翻訳経験をもとに、読み進める方向、吹き出しなどの位置やサイズ、文字数、オノマトペなどを例に挙げ、英訳の面白さや難しさ、漫画の独特な形式が英訳にどのように影響するのかについて説明する。最後に人間とAIの翻訳について考えてみたい。

大日本帝国憲法と日本国憲法の比較

Nathanael Sederholm (Brigham Young University)

今日では日本国憲法の内容はあたりまえのことと思われているが、その内容はいったいどこから生じたのだろうか。憲法の大部分がアメリカの影響を受けていることは知られているが、それでは、基となった大日本帝国憲法と具体的にどのような違いがあるのだろうか。本発表では、日本国憲法と19世紀に制定された大日本帝国憲法の比較を、特に日本国憲法の特徴とされる天皇、人権、平和主義について行う。憲法の歴史を理解することで、その趣旨や内容がより明確なものになると考える。

故郷と自己——佐藤春夫の戦前厦門の紀行文における観察と内省——

David Sheng (Cornell University)

親友の妻への思慕と神経衰弱に苦しんだ佐藤春夫は、1920年の夏、友人の招待を受け、植民地の台湾を拠点に中国の厦門地方を訪問した。その体験を『南方紀行——厦門採訪冊——』という中編紀行文に書き記している。これは「異郷」との接触の記録であると同時に、自らのありようを認識しようとする内省の記録でもある。本発表では、佐藤春夫の紀行文における「支那人」や「異邦人」といった標識的な範疇に着目しつつ、厦門における自己と故郷に関する認識を考察する。

異世界へ——アイヌ民族とモン族の信仰と儀式——

Choua Thao (University of Wisconsin - Madison)

モン族という少数民族の一員としてアメリカで生まれた私は、日本に来て同じ少数民族であるアイヌ民族に興味を持つようになり、北海道の日本遺産をいくつか訪問してアイヌ民族の生活や文化について学んだ。その際、アイヌの信仰に特に興味を惹かれ、カムイという存在についてさらに調べてみることにした。本発表ではアイヌとモンの信仰や儀式を中心に紹介する。

持続可能で対等な日米関係への一提案——在日米軍を中心に——

Jayden Thomas (George Washington University)

第二次世界大戦後、日米両国は安全保障と経済的な目標を共有するために協力しはじめた。1952年に締結された日米安全保障条約は、日米関係の枠組みとなっている。現在、約54,000人の軍人、45,000人の扶養家族、8,000人の国防総省の文民および請負業者や従業員、そして25,000人の日本人が在日米軍(USFJ)におり、日米の安全保障にかかわっている。しかし、在日米軍の基地周辺では、基地の演習や軍人に関連する事件に対して抗議活動が起こっている。本発表では、在日米軍基地の現状と現在進行中の問題を検証するとともに、持続可能で対等な日米関係を築くための解決策を提示する。

小林エリカ『トリニティ、トリニティ、トリニティ』の中のハイパーオブジェクト

Emma Von Der Linn (University of Colorado, Boulder)

哲学者ティモシー・モートンは、「ハイパーオブジェクト」という概念を提唱した。モートンはこれを「人間に対して、時間と空間に大規模に撒き散らされている物」と定義し、オブジェクトは何かという概念を劇的に変えると述べている。本発表では、このハイパーオブジェクトという概念を用いて、小林エリカの小説『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(2019)を分析する。そして、この作品で放射能とインターネットがハイパーオブジェクトとして機能し、日常の隅から隅まで浸透しているということを示す。さらに、ハイパーオブジェクトにより、通常の時間性を超越するホーンティングという感覚が引き起こされることを論じる。

『子ども風土記』から丹後地域の「ストーリー」を生成する

Yifei Wang (University of Wisconsin-Madison)

2017年4月、「丹後ちりめん回廊」が日本遺産に認定された。ちりめん産業で知られる丹後は、国内最大の絹織物産地としての歴史が育んだ場所であるが、丹後ちりめんの歴史には不明な点が存在する。そこで、児童・生徒による地域研究の成果をまとめた『丹後ちりめん子ども風土記』を分析した。その結果、本書は歴史の空白を埋める子供たちの重要な証言であるとともに、木版画と散文が掲載されている貴重な郷土資料であることが判明した。本発表では、子どもの心情に注目し、住居と機織場が一体となった、丹後地域の生産現場の様子を作品から探る。最後に、「海の京都」という日本遺産の新ストーリーを提案する。

日本女性史研究の視点——1990年代の論文を中心に——

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

目的と正統——隠元隆琦の来日において——

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

財産犯の刑罰と労働供給の成長

(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)

戦後日本の前衛芸術の身体論へ——花田清輝、岡本太郎、安部公房——

Natalia Wojas (Stanford University)

1947年に文芸評論家の花田清輝は他の芸術家と「夜の会」という研究会を結成した。そのメンバーである花田、岡本太郎、安部公房の3人はそれぞれ文芸評論家、画家、小説家として戦後日本の前衛芸術に多大な影響を及ぼした。本発表では、三者の思想を紹介する。具体的には、マルクス主義の唯物弁証論を枠組みとして花田の弁証法を説明し、岡本の対極主義と比較する。また、安部の『砂の女』に見られる「砂漠の思想」を概説する。その上で、三者の思想の共通点から導き出される身体観を論じる。本発表を、これから戦後日本の前衛芸術思想を探求していくための第一歩としたい。

日本における障害者雇用——現状と問題点——

Yunhao Xiao (University of Southern California)

日本の障害者雇用率は先進国の中でも高い水準にあるとされており、たびたび実施される障害者雇用促進法の改正が社会的関心を集めている。一方で、健常者との賃金格差や制度上の問題が障害者の自立を阻害しているという指摘もある。本発表では、日本における障害者雇用の現状及び問題点について述べる。特に、障害者雇用の仕組みと法的保障、障害者作業施設の種類と運営を取り上げる。

百人百様の「百合」——「百合」に反映される多様な欲望——

Ruoyi Yan (University of British Columbia)

ポップカルチャーにおける「百合」とは、簡単に言うと女性同士の親密な関係を描くジャンルである。しかし、「百合」というジャンルは実に定義しにくいものであり、定義が曖昧なまま現在もなお発展し続けている。その主な理由は二つある。一つは、「百合」は「少女漫画」や「青年漫画」のように対象読者の年齢や性別によって分類されるものではないこと、もう一つは、読者の視点によって「百合」に対する理解が異なっていることである。作品の主題には純情な恋愛や性的関係、そして深い友情までもが含まれている。だからこそ、読者は「百合」を通して個々の欲望を満たすことができるのである。本発表では、先行研究といくつかの百合作品の分析を通じて、美学や帰属感、性欲等の「百合」に反映される多様な欲望について検討する。

日本語教育における漫才の活用

Wenyue Zhang (University of Washington)

漫才は、二人の演者のやりとりを中心として構成された日本の演芸である。JFL(Japanese as a Foreign Language)教師の視点から見ると、そのやりとりと日常会話との深いつながりは、言語教育領域で注目されている「タスクベース教授法(Task-based Language Teaching)」に漫才を取り入れられる可能性を示している。「タスクベース教授法」は、学習者のタスクの達成を重視し、言語形式の正確さよりも意味の伝達に焦点を当てている。例えば、レストランで注文する時に使われる表現やカジュアルな会話における正確なイントネーションなどを教え、学生が自力で新しい文を作る能力を養えるように指導する。漫才を分析したり真似したりする活動は日本語学習者に日本文化や母語話者のコミュニケーションを教えるためのアプローチとなり得る。本発表では漫才と日常会話のつながり、および日本語学習の教材としての漫才の活用方法について述べる。

エロシェンコの「身体の目」と「精神の目」

Ting Zheng (Stanford University)

本発表では、盲目の詩人、ヴァシリー・エロシェンコの人生と作品を通し、身体の目と精神の目の関係性について考察する。ウクライナ出身のエロシェンコは、日本でマッサージが学べると聞き、大正3年に来日した。当時の日本では、盲人は鍼治療やマッサージの職業に就いており、近代的な盲学校も設立されていた。彼はこうした環境の中で、外国人としてマッサージを学ぶことができた。また、エロシェンコは、童話や詩を発表するかたわらエスペランティストとしても活躍した。エスペラントは学びやすく、世界中の盲人コミュニティをつなぐ言語であり、彼にとって精神の目を開く手段だった。さらに、エロシェンコは中国の作家魯迅と親交があり、魯迅は彼の作品を翻訳した。両者の作品には、近代性を受け入れることを促すメッセージが込められていた。エロシェンコの人生と作品は、身体の目を失っても精神の目を開くことの大切さを教えてくれるのである。

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アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター
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