(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Nicholas Ammon (University of Hawaiʻi at Manoa)
川上未映子の「乳と卵」では、視点者夏子の語りや作中の会話、引用される日記など、ほぼ全体に渡って大阪弁が使われている。描かれているのは東京在住の夏子のところに大阪から姉と姪がやってきて共に過ごした三日間の事である。その間の出来事を語る夏子の言葉は標準語に近いやや改まった大阪弁だが、姉妹の会話や姪の日記などの私的な部分ではより一般的な大阪弁が用いられ、それぞれの心境が活き活きと描かれている。川上未映子は大阪弁の文体を組み合わせることにより、標準語では表せない複雑な人間関係やその中でのそれぞれの主体性を巧みに描いている。
Juan Felipe Arroyave (University of Washington)
スペイン語圏において日本文学に興味がある人は多くない。その原因として、単に言語の問題を指摘するだけでは十分ではない。それ以上に、日本文学を一般に広く普及させる方法が確立していないことが問題である。翻訳された文学を入手しやすくする方法として、インターネットを通じて無料で公開することが考えられる。本発表ではその活動の一つとして、独自に翻訳した『小倉百人一首』の新訳を無料でスペイン語圏の読者に公開しているサイト padelfordpress.com/cien-poetas-cien-poemas を紹介する。
Mariko Azuma (University of Utah)
本発表では明治期の建築において、外観やビジュアル要素、すなわち「視覚性」がどのように意識されていたか、美術史の観点からの追跡を試みる。開国後の日本は、新しくもたらされた写真、万国博覧会、博物館などを通してあらゆる分野と角度から「見る」「見られる」機会をもつようになり、「視覚性」への意識を培いつつあった。「見る」「見られる」相互行為は、この時代の近代化・西洋化志向を背景としており、建築、特にホテルや要人の住居の応接空間には、この眼差しが交差する地点としての特徴が、明白にそして鮮やかに現れていると感じられる。
Megan Beckerich (University of Chicago)
月岡芳年による《奥州安達ヶ原ひとつ家の図》(1885年)という浮世絵を紹介して、明治政府によって検閲された理由を追求する。まず、浮世絵における「無残絵」と呼ばれるジャンルの分析を踏まえ、「安達ヶ原」伝説に基づく幕末の浮世絵作品を紹介する。そして、芳年の作品は衝撃的ではあるが、直接的な暴力性の描写ではなく、裸体と含蓄された暴力性を通じて「無残さ」が表現されていることを示し、その結果、検閲の原因として明治時代のいわゆる裸婦問題との関係を指摘する。また、非常に有名な浮世絵作品であるにもかかわらず、いまだに美術史上の他の浮世絵と繋がる位置づけが無視されている点にも言及する。
Amy Burke (National University of Ireland, Galway)
現在の日本は首都圏や都市部の発展は盛んであるが、地方は全く異なっている。地方は人口減少はもちろん、財政危機、産業の衰退、そして結婚率の低下にまで過疎化と少子高齢化の影響が及んでいる。この10年間来日者数が徐々に増加し、現在の日本はいわゆる観光ブームの最中にある。この現象は、地方の経済回復や再活性化には貴重な機会となる。しかし、この成長を果たすためには、それぞれの地方自治体や観光協会が独自のブランドと戦略企画を巧みに立てる必要がある。本発表では、観光産業を通じて活性化を果たした直島という島の成長をケーススタディとして、成功の要因を分析する。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Anthony Chan (University of Illinois at Urbana-Champaign)
私たちが現在使っている漢語の過半数は、実は近代日本において造られたか、あるいは新たな意味を与えられて普及したものである。これらの新たな漢語は和製漢語、あるいは新漢語、漢字語などと呼ばれる。それらは日本語に限らず、中国語や韓国語にまで定着し、現在に至っているが、和製漢語はいったいどのように中国大陸や朝鮮半島に渡ったのか、そしてそれらの造語はそもそもなぜ漢字で生成されてきたのであろうか。その裏には、様々な歴史的・社会言語学的背景や事情がある。本発表では、和製漢語の生成・普及の過程が、言語のタイムカプセルのように当時の言語の接触、意識、態度など、西洋と日中韓の繋がりを反映していることを示す。
Alexander Chin (Columbia University)
アメリカではアジア系アメリカ人はそれ以外のアメリカ人から外国人だとされている。例えば、アメリカでアジア系アメリカ人は度々どこの出身かと聞かれるが、アメリカのニューヨークなどと答えても聞き手は満足しない。なぜなら、その質問には実際に育った場所はどこかという意味だけでなく、アジアのどの国から来たのかという意味も含まれているからである。そして、その裏には、アジア系はこの国の国民ではないという考えが潜んでいる。本発表では、そのような考えの根底にある模範的少数派ステレオタイプ、つまり社会的成功例の多いマイノリティに対する特別な見方について、具体例をあげながらその問題点を論じる。
Miguel Conner (Reed College)
1985年から日本は男女とも世界で上位の長寿を保ち、糖尿病や心臓病などの慢性疾患とガンの発症率が低く抑えられたことで、日本人の生活は注目を集めた。遺伝や環境、高水準の医療なども理由に含まれるが、日本のユニークな食生活は重要な役割を果たしていると言える。栄養意識の高い家庭料理も、消費カロリーと摂取カロリーの均衡も日本の食生活の特徴である。食事の内容を見れば、タンパク質の中で魚や豆腐の比率が赤身の肉より高いこと、脂肪が少ないこと、添加糖も少ないことも関連がある。さらに健康的な観点からすれば、白米などの精製した炭水化物と塩の量を制限すれば、よりよい効果が見えてくるかもしれない。
Michelle Crowson (University of Oregon)
「世界文学」とは一般的に、翻訳を通してその属する文化から異文化に伝わる作品とされる。しかし、比較文学研究者エミリー・アプターは、翻訳過程は既存の地域間不平等を助長するため、「世界文学」の概念は考え直されるべきであるとし、倫理的対抗策として「翻訳不可能性」を主張した。それ以降の議論は、ある原文をそのまま対象言語で伝達できるか否かを軸にしている。しかし、文学とは必ずしも言語のみで創造されたものではない。さらに、権力関係は原語の場と訳語の場の二段階に限られるわけではない。本発表は近世日本女性の文芸作品を通して文学の非言語的な相補的側面を述べ、「言語的対等性」を越えて拡張される「世界文学」の概念を提示する。
Heather Davis (Brown University)
ビジネス業界では翻訳がいかに厳しい仕事かという本質的な問題がよく見逃されている。たとえ翻訳における障壁が認められている場合でも、翻訳の難しさは異文化における一般常識の違いや翻訳文に対する読者の好み程度しか指摘されていないのである。しかし、本発表で注目したいのは言語そのものに基づく障壁である。映像と違って、紙の上の文字には世界を寸分たがわぬように描写する力はない。この言葉による描写の限界からある種の翻訳における難題が生じる。発表者が英訳を試みた藤野可織の『ドレス』という短編集の中の三編を通して、この翻訳問題を検討したいと思う。
Paula Esguerra (International Christian University)
仏教の禅の思想がアメリカで広まったのがきっかけで、「マインドフルネス」という言葉が世界中で知られるようになった。マインドフルネスとは、痛みや精神障害に対処するために医療分野で考え出された心の整え方だ。また、企業の生産性やチームワークを向上させるための効果的な方法としても活用されている。この発表では、日本におけるマインドフルネスの発達を探る。特に、マインドフルネスに対する禅僧の反応に注目する。日本の禅僧の中には仏教の成長の機会だと考える人も、座禅や瞑想の禅の豊かな伝統の商品化、簡略化だと考えて反対する人もいる。宗教とマインドフルネスとは、今後どのように共存していくのだろうか。
William Fee (Oxford University)
日本人作家大江健三郎は14歳の頃から毎年何度かの「聖なる週間」を設定し、その期間はロシア人作家ドストエフスキーの作品しか読まないという習慣がある。この習慣のおかげで、大江の作品にはドストエフスキーの影響が明確に見える。とりわけ作中の多くの宗教的概念と文体においてこのような影響が見つかる。ドストエフスキーも大江も、その作品において宗教的な信仰に潜む矛盾に苦しんでいる。ドストエフスキーは合理的な精神のせいでキリスト教の信仰に対する疑問に苦しんだが、大江は戦後民主主義をめぐって理想主義と現実主義の狭間で苦しんだ。本発表では、この両者の苦しみの類似性を主張したい。とりわけ、大江による『定義集』(2012) というエッセイ集の分析を通じ、核兵器がある「現実的」な世界と平和主義による「理想的」な世界の二分法について論じたい。
Anna Fischer (University of Wisconsin-Milwaukee)
人間の脳の解明は進んでおらず、神経障害や神経系の症候群についての研究はまだ十分ではない。本発表では、アスペルガー症候群を理解してもらい、差別や偏見を少しでも減らすことを目的とする。まず、アスペルガー症候群の最新の分類や、症状、事例について紹介する。次に、アメリカと日本における認知行動療法や疑似体験療法、実験心理学的なセラピーを紹介する。最後に、肢体不自由者との比較などを行い、アスペルガー症候群に対する社会的な理解について述べる。
Carlton Fischer (University of Wisconsin-Madison)
本発表では日本における少子高齢化の概略とそのメリットについて簡単に紹介し、具体的な対策を紹介する。ニュース等で少子高齢化やそれに伴う問題が取り上げられ、その傾向を反転させるための政策が推進されてきた。しかし、意図自体には全く問題がない社会的な戦略、例えば職場や育児での男女平等を達成する、残業等を制限する、子育て支援をする、などを実行できたとしても、40年近く続いてきた傾向を止めることは不可能である。そこで、本発表では経済成長を目的とした戦略ではなく、環境や社会福祉を中心とした政策やインフラ整備が必要であることを明らかにしたい。
Jon Foissotte (Johns Hopkins University SAIS)
2018年前半、北朝鮮に対する米国の外交政策は大幅に変化し、北朝鮮と複雑な交渉を進める一方で、同盟国と協調するという課題に挑むこととなった。このようななか、北朝鮮が日米間の国益の違いを利用して両国を分裂させようとし、日本が孤立化する危険性が出てきた。それを防ぐ方策の一つとして、この発表では、米朝二国間交渉から多国間交渉への移行、つまり日米韓が協調して交渉の枠組みを構築することを提案する。
Vincent Gleizer (Yale University)
本発表では総合的病害虫管理について、特に発表者のイェール大学のイギリス専門美術館での経験と印象を中心に紹介する。総合的病害虫管理とは害虫の被害を防止するため、殺虫剤の代わりに環境に安全な方法で害虫を駆除する方法である。本発表では総合的病害虫管理について説明した上で、害虫の捕獲の方法、美術館で見られる一般的な害虫、害虫管理の業務の重要性について述べる。また、病害虫管理をより効果的に行うために不可欠な要素とは何か、地球の環境が悪化している現状に対して私たちには何ができるのかという問題についても考えたい。
Lauren Guz (University of Michigan)
無国籍というのは国籍を持っていない状態である。現在、無国籍者は世界中で1億人にも上る。国民国家によって縛られているこの世界では無国籍者ほどの弱者はいない。無国籍者が発生した原因としては、民族差別や男女差別をはじめ領土紛争などがあげられる。無国籍者の発生は出生地主義の国より血統主義の国において顕著に見られる現象である。無国籍者の増加を防ぐためには、無国籍になった子供を特別な場合として扱うことが必要である。例えば、血統主義国でも出生地主義によって国籍を与えることで、あるいは帰化するための条件を緩和することで、無国籍になった世界中の子供たちを救うことができる。
Sarah Herendeen (University of Illinois at Urbana-Champaign)
本発表では、日本の子供に人気がある7冊の絵本を通して日本の冒険絵本におけるジェンダーの描かれ方について分析する。絵本は子供の性役割意識の生成に強い影響を与える。なぜなら、絵本はしばしば子供にとって性役割との初めての出会いになるからだ。先行研究には絵本における女性主人公のジェンダー・ステレオタイプとそれから脱却する絵本に注目するものはあるが、その視点を男性主人公に適用したものはない。そこで、本発表では、冒険絵本における男性主人公と女性主人公の両方を取り上げて分析し、先行研究の知見を踏まえてジェンダー・ステレオタイプから脱却する絵本の長所と短所について考察する。
Shuting Huang (Emory University)
日本語学習者、特に非漢字文化圏学習者は、漢字に対して愛憎相半ばする感情を持っている人が多いだろう。表語文字である漢字は、言葉が短く簡潔に表現できるという長所がある一方、字形の複雑さや発音の多様さなどのため、日本語の習得において負担どころか障害ですらあるという意見がある。漢字の問題を解決する試みとして、戦後間もなく漢字の制限を目指した「当用漢字表」が作成された。さらに、「常用漢字表」が告示された80年代には、日本社会は情報化社会に入り、コンピュータをはじめとする情報機器が国民の文字生活に大きな影響を及ぼしてきた。本発表では、「常用漢字表」が作成された経緯及び情報化社会における漢字の位置づけに着目し、今後の漢字のあり方について考察する。
Lyndon Ji (University of Michigan)
十九世紀後半までは即興演奏が西洋芸術音楽において重要な役割を果たしており、多くの演奏で行われていた。にもかかわらず、現代のいわゆるクラシック音楽において即興演奏の跡は皆無と言える。一体なぜこの最も原初的であり、かつ普遍的とされていた音楽表現形式が、クラシック音楽においては消滅の危機に瀕しているのだろうか。本発表では、このような状況に至った際立った要因として、教育学的及び社会的な変化、とりわけ音楽学校の普及および中流階級、いわゆる「プチブル」の増加が挙げられることを示す。また併せて、現代の演奏習慣における即興演奏の役割や即興演奏に対する音楽家の態度についても論じたい。
Iris Kim (Columbia University)
妊娠は体に大きな変容をもたらすもので、新しい生命を産みだし、そして「母」になる。この側面からみると、妊娠は母と子との絆だけではなく、人間関係の親しさを産む過程だと考えられる。しかし、小川洋子の『妊娠カレンダー』では「姉」の妊娠過程がまるで理科室で観察、実験をしているように冷静に描かれることで、妊娠そのもの、赤ん坊の存在が不気味な何者かになる。本発表では食べ物を始めとして妊娠に関する一般的な挨拶、胎児など、つまり「姉」の妊娠を巡る様々なことがどう異化されているのかを検討し、この作品が妊娠という現象を見直しながら、体において様々に変容する瞬間的な感覚の繋がりと積み重ねに注目していると考える。
Jinsung Kim (University of British Columbia)
1881年に韓国政府は朝士視察団を日本に派遣した。派遣の目的は日本の近代施設を訪問し、政治・司法制度などを調査することであった。「韓国版岩倉使節団」とも呼ばれているこの視察団は帰国後、韓国政府の開化政策に大きな影響を及ぼした。本発表では朝士視察団が日本に派遣された政治的・外交的な背景と彼らの日本軍事施設の視察活動を究明したいと思う。また、朝士視察団の視察活動を近代日韓の軍事交流の側面から分析する。侵略と搾取という従来の視点を超え、日韓両国の交流と協力の側面も明らかにするのが本発表の目的である。
Sabrina Lau (University of Tokyo)
近年、健康意識の高まり等が理由で「健康食品」の利用度が上昇しており、世界の市場規模も拡大する一方である。「健康食品」の発祥地である日本は、どのような経緯を辿って現在の「健康食品」業界を築いてきたのだろうか。また、世界の「健康食品」業界を牽引している日本の経験から見た、「健康食品」における課題は何であろうか。本発表ではそれらの話題を俯瞰した上で、「健康食品」業界の展望を紹介し、我々はどのような行動を起こすべきかを提案する。
(発表者の希望により、このページへの詳細の掲載は控えさせていただきます)
Sulwyn Lim (London School of Economics and Political Science)
日本では、タピオカが魅力的なトレンドだと言える。ここ数年の間、いくつものタピオカ店が展開されているだけでなく、人気があるタピオカ店の前に行列が絶えない状況も見られる。一体なぜそのような大ブームが数年続いているのだろうか。本発表ではタピオカの起源から日本で流行になるまでを簡単に説明する。さらに、タピオカに関連した興味深い噂を指摘したい。また、タピオカは流行のピークを既に越えたのかということについても触れる。
Shaoyu Liu (Barnard College)
本発表では、山沢栄子という写真家に注目し、特に彼女が拓いた独自の表現や、彼女の生き方を紹介したい。20世紀前半にアメリカに渡って写真技術を修得し、1952年に大阪で写真スタジオを開設するなど、山沢には輝かしい経歴がある。抽象表現の作品も山沢が特異な存在であることを示している。しかし、彼女の名前は日本ではあまり知られていない。男性優位の当時の写真界では無理のないことかもしれない。一方で、山沢のキャリアを追求した生き方から、日本における女性の自立の歴史が見えてくる。本発表では、山沢のインタビューや作品、また、山沢が影響を受けた同世代の芸術家の作品との比較を通して、女性写真家の先駆者としての役割を論じる。
Lissette Lorenz (Cornell University)
第二次世界大戦の終わりから始まった、原子力テクノロジー(核兵器および原発)はなぜ日米関係に強い影響を与え続けるのかという問いが、2011年3月11日の東日本大震災後において再び国際的な問題として表面化してきた。この問いに取り組むため、「原子力巡礼」という現象を紹介する。「原子力巡礼」とは、巡礼者が聖なる場所を巡るように、原子力時代に関連した場所を巡ることである。本発表では、2018年に発表者が行った「原子力巡礼」の経験から得た事柄について説明する。
Shatrunjay Mall (University of Wisconsin-Madison)
明治維新以降、近代化日本とアジア大陸の関係は日本の思想界や政界において大いに議論された。脱亜入欧かアジア開放かは19世紀末から20世紀前半に渡る帝国日本の課題になった。この問題は日本帝国に大きな影響を与えた。その中で1905年はアジア諸国にとって重大な年だった。なぜならば、日本の日露戦争勝利のニュースは植民地化されたアジア諸国に衝撃を与え、アジアにおける独立運動や反植民地主義の思想を強化したからだ。日本の勝利はアジアの台頭の象徴になった。20世紀初期から第二次世界大戦の終戦までアジアの広大な地域を植民地化した日本帝国とアジアの一部における独立運動の間で特殊な関係が発生した。汎アジア主義という思想はその独特な関係の基礎となった。これまでの研究はインド独立運動の普遍主義の側面を強調したが、インドの反植民地主義とアジアにおける日本帝国主義の関係の曖昧さの分析は十分ではなかった。そこで、本発表は日本に永住した政治活動家ラース・ビハーリー・ボースの人生と著述に焦点を当てることにより、日印関係の更に深い理解に貢献したい。
Brooke McCallum (University of Southern California)
中沢啓治の『はだしのゲン』と『オキナワ』を参考に、芸術作品における作者の体験と主観性について考察する。『はだしのゲン』と『オキナワ』というマンガの登場人物や内容を分析すると、中沢は自身の広島原爆体験を踏まえ、沖縄返還協定以前の沖縄の人々に共感しているように見える。一方で、沖縄への偏見が描写され、中沢の「自身の被害者としての体験により、別の被害者の話も書ける」という態度により、少数民族の声を消滅させるという意見もある。本発表では、「自文化の影響や自身の背景から逃げるのは不可能だ」ということを考慮せず、当事者の経験や心を推測し、主観的に芸術作品で表現するのは危険であると述べる。
Nicholas McCullough (California State University, Monterey Bay)
私達の日常生活において、心身の健康を維持するために良質な睡眠は重要な役割を果たす。本発表では睡眠の質を左右する物質や現象、習慣などを紹介し、簡単に実践できる改善方法や注意点について触れる。例えば、「光」は体内時計に大きく影響を及ぼし、光があるかないかということによって睡眠リズムが変化することなどである。本発表の主な目的は、人間の体質には個人差があるが、紹介する実践方法をできるだけ多くの人に実践してもらい、心身の健康維持に役立ててもらうことである。
James McDonough (University of Michigan)
本発表では、明治期の鉄道の発展過程を簡単に紹介し、特に近代国家のイメージ形成に鉄道が果たした役割を取り上げる。明治政府の指導者は、新しく西欧から入ってきた鉄道と天皇のイメージをつなげ、日本は近代化しているというイメージを構築しようとした。具体的には、明治天皇は新しい鉄道路線の開業式に参加し、巡幸に鉄道を利用した。また、西洋風の駅や御料車が造られていった。本発表では開国から明治天皇崩御までの鉄道利用について説明し、明治天皇と鉄道はどのような関係か、この関係が日本のイメージ構築にどのような影響を与えたのかを考える。
Trevor Menders (Columbia University)
本発表では、明治政府の官僚、蜷川式胤を紹介し、彼の1876年から1879年にかけて出版された『観古図説』の日本美術史における位置づけを検討する。蜷川の官僚としての美術史学的活動を追いながら、『観古図説』の第一巻「陶器の部 一」を中心に、『観古図説』の内容と文学的、美術史的な特徴を紹介し、当時の他の美術に関わる出版物との差異や後代の美術史学への影響にも触れる。
Adrian Morales (University of Michigan)
日本の入れ墨は、世界のタトゥーファンやアーティストの間ではその技術や芸術性においてレベルの高さが評価されている。しかし国内では、文化人類学者の山本芳美が述べるように「入れ墨イコール反社会勢力、犯罪、怖い」というイメージが根強く残っている。本発表ではこれらのイメージの歴史的・文化的背景に焦点を当て、彫師や入れ墨に対する偏見や差別がどのようなものかについて事例を挙げながら述べる。さらに入れ墨に対するマイナスイメージの再生産をなくすための解決方法を提示したい。
Sara Newsome (University of California, Irvine)
石牟礼道子は、水俣病の患者や遺族について社会的な関心を高めるために『苦海浄土』という小説や『不知火』という現代能を書いた。『苦海浄土』はノンフィクションの作品であるという認識が一般的であるが、実は非常にリアリティのある記述の一部は、石牟礼が創作したフィクションである。その部分は真に迫り、患者の思いや隠されていた事実が代弁されている。石牟礼は様々な資料を基に『苦海浄土』を世に出し、小説と能のような異なるジャンルで書くことを通して、水俣病患者の正義を訴えた。同時に女性や労働者の権利の問題なども浮き彫りにした。また、石牟礼が使った多彩な資料の存在は、読者それぞれが共感できる資料を見つける一助となっている。
Dylan Plung (University of Washington)
アメリカのユタ州の砂漠にあるアメリカ軍のダグウェイ実験場に1943年、「日本村」と呼ばれる日本の町並みを再現する施設が作られた。この村の建設計画やそこで行われた実験の分析を通して、米空軍の日本への爆撃作戦の変更が理解できるようになる。本発表では、このあまり知られていない歴史の背景として、工場や港を集中的に攻撃する「精密爆撃」から、住宅地や商業地を攻撃する「無差別爆撃」への作戦移行、焼夷弾の研究開発、日本中の民間人を攻撃目標として扱うことなどを米空軍がどう合理化したかを論じる。
Katherine Reilly (The Fletcher School, Tufts University)
デジタル・シルクロードとは中国が他国のデジタル・インフラを構築するプログラムである。この発表ではデジタル・シルクロードにどの国が参加するのか、そしてデジタル・シルクロードの安全保障上の懸念は何かを取り上げる。まず、デジタル・シルクロードに参加する可能性が高い国の分布図を作成し、次に、デジタル・シルクロードを通じて監視と検閲の技術が拡散する可能性について言及する。デジタル・シルクロードの存在はインフラを構築した国のデータの安全性だけではなく、国際社会における言論の自由にも影響を与えるのかについて考察したい。
Drew Richardson (University of California, Santa Cruz)
民俗学者であり、生物学者でもあり、変形菌を研究した南方熊楠は、当時新生であった性科学、環境保護主義や民俗学の分野で、反体制的な文章を書いたことで知られる。『ネイチャー』と『ノーツ・アンド・クエリーズ』という雑誌で、南方は350点以上の英語の記事を発表した。本発表では、『ノーツ・アンド・クエリーズ』での南方の共同作業という側面について考察する。南方の記事は西洋知識を覆しただけでなく、世界の民俗学や民俗学者との国際的協同に移行することを主張する。
Sean Rodan (Yale University)
江戸幕府の「切支丹」禁制により、多くの「切支丹」は徹底的に排除された。しかし、迫害を逃れ、生き残った「切支丹」は村社会に潜伏し、幕末まで存続することができた。この点について宗教学者の大橋幸泰は潜伏キリシタンが存続した理由として主に次の二点を挙げている。一つは、潜伏キリシタンは幕府から十七世紀前半までの「切支丹」とは違う存在だとみなされたこと、もう一つは、潜伏キリシタンは村社会の一員としての属性を優先したことである。本発表では、その二点について詳しく見ていくこととする。
Cassie Rodriguez (Princeton University)
本発表では、日本の安全保障の発展を簡潔に紹介し、特に米国と中国の状況はどのように日本の戦略に影響を与えているのかを取り上げ、今後どのような形で日本が安全保障政策を打ち出せばいいかを考える。第二次世界大戦後、アメリカ中心の東アジアの構造、そして日本の安全保障政策は形成された。しかし、現在、世界の勢力均衡は多極体制へ転換している。多国間、特に米国と中国の間の競争は、東アジアの勢力均衡の不安定化をもたらしているともいえる。このような中、日本はより積極的な外交政策を追求する必要に迫られている。そのためにも日本は戦後に形成されたアイデンティティや米国に依存した安全保障観という束縛から脱却し、安全保障を再構築する必要があるのではないだろうか。
Danielle Rymers (The Ohio State University)
現在のコロナウイルスの状況を見ればよくわかるが、教育のためにオンライン、バーチャルの教育方法が重要になった。ウイルスのせいでコンピュータしか使えなくなったが、通常の対面授業に戻ってもバーチャルな方法はまだ必要だろうか。テクノロジーに強い現在の子供たちに、これからどんな教育をするべきだろうか。ゲームの要素を様々な目的に応用する「ゲーミフィケーション」という方法が最近注目されている。今日は、その一つの方法であるビデオゲームで言語を教える方法を、『あつまれ どうぶつの森』というビデオゲームを例として挙げながら説明する。ビデオゲームでも、対面授業で活用し言語を教えられる可能性があるのだ。
Stephanie Santschi (University of Zurich)
博物館のキャプションはどの言語で書くべきであろうか。複数の言語の説明を取り入れるとキャプションが長くなりすぎ、簡潔に伝えるという目的には合わなくなる。本発表では、まず4つの公用語を持つ多言語環境のスイスの例を取り上げ、浮世絵展において日本語をどのように扱っているかに注目する。次に、来場者の言語的背景が、博物館が説明に使用する言語に影響を与えるかを調べる。さらに、日本では多言語による展覧会が美術館の人気に影響を与えるかを知るために、どのような展示が日本人と外国人に人気があるかについての調査結果を報告する。最後に、学芸員が展覧会に関する情報提供を行う際に、言語に依存しない方法があるかを検討する。
Amanda Schiano di Cola (University of Washington)
役割語は、ある特定の人物像が使う特定の言葉遣いと定義されている。日本語母語話者はそれを聞くと「老人」や「お嬢様」などの特定の人物像を想起する。このような役割語はよく「バーチャルな世界」や「フィクションの世界」で使われているので、現代日本語から乖離した表現だと見なされている。本発表では、明治時代からの女性語の展開を考察することにより、役割語がどんな形で「現実の世界」に存在するか、説明を試みる。また、日本語学習者は言語の「情報機能」だけではなく「象徴的機能」も理解する必要があるという立場から、日本語教育における役割語の重要性について論じる。
Tong Shen (University of Colorado at Boulder)
日本で生まれ、近年世界の多くの国で流行っているバーチャルユーチューバー、いわゆるVTuberは大衆文化の最前線であると言える。VRやLive2Dなどの最新技術によって産み出され、アバターを使用して活動するVtuberたちは、新たな時代を開く可能性を持つ。しかしながら、未来を背負う彼らはこの新しい未成熟な業界において様々な問題に直面している。VTuberの世界に足を踏み入れた人々が、華やかな舞台裏でどのような問題を抱えているのか、どのような未来を望んでいるのか、まだ誰にもわからない。
Samee Siddiqui (University of North Carolina at Chapel Hill)
明治維新以降、日本の様々な知識人がイスラム教に興味を持つようになった。もちろん、多くの日本の知識人、改革者、官僚の目は西洋に向いたが、一部の日本人はアジアの宗教や歴史について勉強し始めた。1945年以前の日本とイスラム教との関係に関するこれまでの研究の焦点は、第二次世界大戦中の日本帝国の「回教政策」にあった。たしかに日本政府はイスラムを戦略的な道具として見たが、これはイスラムの全体像を俯瞰していた訳ではない。例えば、時事新報社の記者野田正太郎は1890年にオスマン帝国で働いていた時イスラム教に入信した。しかし、野田は日本人初のイスラム教徒だったにもかかわらず、イスラム教に関する研究や出版物を残さなかった。ところが、汎亜細亜主義者田中一平と有賀文八郎はイスラム教に改宗しただけではなく、イスラム教と神道の関係を述べた重要な著述を残した。田中と有賀によれば、イスラムと神道は統合できるという。本発表では、田中一平と有賀文八郎のような人々の人生をたどることにより、イスラム教と日本の関係が地政学的な興味だけではなく、宗教的・思想的関心であったことを論証する。
Maria Slautina (New York University)
現在世界中で開催されているアートビエンナーレ、トリエンナーレは西洋を起源とする国際美術展であるが、近年では東アジアでも盛んに行われている。本発表では、東アジアの国際美術展について述べ、日本での成功例の1つとして2010年から瀬戸内地域で開催されている「瀬戸内国際芸術祭」の概要と作品例を紹介する。
Matthew Steinhauer (Northern Kentucky University)
インターネットの普及とグローバル化により、より多くの学習者が外国語学習へのアクセスが可能になったにもかかわらず、低所得層の学生にとって経済的な壁がまだ存在している。外国語を学びたい低所得層の学生にとって高等教育の経済的な負担は、あまりに重いからだ。バーチャルリアリティの採用で、この経済的格差による学習機会の不均衡を解消すれば、さらに多くの低所得層の学生のための学習機会を創出できるのではないだろうか。
Kathryn Stephens (Washington University in St. Louis)
1996年、わずか17歳でデビューした乙一は日本で人気のホラー・ミステリー作家である。本発表では、デビュー作『夏と花火と私の死体』や短編集『Zoo』、『Goth』における疎外感について議論する。これらの作品には、死体が四角いものに隠されているという物理的な孤立があるほか、孤独で厳格な自然に対する登場人物の疎外も描写されている。また、家族からの精神的・感情的疎外や、殺人といういわゆる普通の社会からの疎外が強調されている。乙一は読者の殺人犯に対する同情や思い込みをも巧みに操り、読者を驚かすだけではなく、「普通」の人間とは何かと問いかける。そして最後に、乙一は読者にまで疎外感を感じさせる。
Emily Tony (University of Michigan)
現在の日本は少子化が進んでおり、それを解決するため政府は移民の受け入れと子育て支援を進めている。しかし、その効果は十分であるとは言えない。なぜなら、大多数の国民は大規模な移民に反対し、また、子育て支援の不足とは別の理由で出生率が低下しているからである。本発表では、少子化問題の主因として若者が結婚しなくなっていることに注目する。そして、それが家族に対する伝統的な価値観と社会状況とのギャップによって生じている点について述べる。この価値観自体を変えることは難しいのだが、発表の最後に、税制改革など政策によって結婚する人を増やすことが可能であることを示す。
Benjamin Villar (Stanford University)
伊藤潤二は日本のホラー漫画家の中でかなり独特な存在である。なぜかというと、伊藤の作品には道徳や社会評価など、社会と人間関係に関する様々な問題について描かれているからである。多くのホラー漫画家は道徳のない世界を作り、その怖さを表している。しかし、伊藤のホラー世界には道徳がきちんとあるからこそ、悪行を犯す人物を通じて人間の内面にある悪の部分の恐ろしさをみせてくる。この発表では伊藤の漫画はどのように道徳や社会問題を描写しているかを検討する。そして、その描写によりジャンルとしてのホラー漫画は社会にどのような役割を果たせるのかについても考えてみたい。
Fanglin Wang (Georgetown University)
伊藤潤二は日本のホラー漫画家の中でかなり特異な存在である。伊藤の作品には道徳や社会評価など、社会と人間関係に関する様々な問題が描かれているからである。道徳のない世界を作り、その怖さを表すホラー漫画家が多いなか、伊藤のホラー世界には道徳がきちんとあり、だからこそ悪行を尽くす登場人物を通じて人間の内面にある悪の部分の恐ろしさをみせられるのである。本発表では伊藤の漫画はどのように道徳や社会問題を描写しているかを検討する。そして、その描写によりジャンルとしてのホラー漫画は社会のなかでどのような役割を果たせるのかについても考えてみたい。
Yue Wang (University of British Columbia)
今回の発表では、村田紗耶香による『消滅世界』を通して、ディストピアや性表現に焦点を当て、女性の身体、ジェンダー、セクシャリティについて検討する。2015年に出版された『消滅世界』では、セックスではなく人工授精や人工子宮によって、子供を産むことが定着した世界が描かれている。小説の世界観を分析すると、ユートピアとディストピアの曖昧な境界線が明白になる。また、この小説では、恋愛、セックス、家族、妊娠や出産にまつわる制度が徐々に解体され、転覆させられていく。そして、それによって、読者に違和感を覚えさせ、当然のように受け入れている常識や固定観念に疑問を生じさせ、既存の社会に対する強力な抵抗を表現していると指摘したい。
Ziyan Wang (Bard College)
本発表では、1893年に黒田清輝によって描かれた《朝粧》をめぐる論争を通して、明治期における裸体画の意味を論じる。《朝粧》は黒田の留学先のパリでは良い評価が得られたものの、1895年に京都で開催された第4回内国勧業博覧会ではいわゆる「裸体画論争」を起こした。《朝粧》を春画などの裸の描写と同一視する批判に対して、黒田は「裸体画」は日本美術発展の将来だと反論した。つまり、黒田にとって「裸体画」は西洋的な文明に近づく象徴であったのだと考えられる。さらに、こうした論争から、明治日本においての「裸体画」は、西洋美術史上の理想化した「ヌード」と異なり、当時の近代化と国家主義的な思想などと深く繋がっていることがわかるのである。
James Worsham (Baylor University)
法的に住む人がいない家は空き家と呼ばれる。日本の社会問題や最近の風潮の影響で、20世紀後半から空き家の数は増加する一方である。しかし、不動産市場の状況や売買の制度によって、売りに出してもなかなか売れないことが多い。一方、広い庭が欲しい、歴史的な建築が好ましいなどという理由であえて空き家に住もうとする人が存在する。空き家は、新築の家の購入に比べて価格が安いなどの利点がある一方、購入の手続きは複雑だ。現に、価格がゼロ円となる場合もある。納税と改修の負担は大きいが、一部の家の持ち主にとって、それでも空き家には価値がある。本発表では、日本の空き家をめぐる事例と共通する問題点を提示する。
Qin Yang (Yale University)
1890年代からほぼ50年にわたって、数多くの探検隊がシルクロード(絹の道)へ調査に向かったが、それらの中で1902年にロンドンからシルクロードへと向かった第一次大谷探検隊については、その活動内容がはっきりせず、探検の事実自体がほとんど知られていない。浄土真宗の僧である大谷光瑞らはなぜシルクロードの探検を目指したのか、そして彼らの活動は各国にどのように見られていたのか。本発表ではその二つの疑問を解明するため、英露清日の四カ国の一次史料を用いながら、第一次大谷探検隊をめぐる世評と実像について検討していきたい。
Yumin Yang (Duke University)
津島佑子の長編小説『あまりに野蛮な』は二本の時間軸によって物語が展開されている。それぞれの時間軸に沿って描かれるのは一人の女性「リーリー」とその叔母「ミーチャ」の人生である。リーリーは子供が亡くなった喪失感から立ち直るために台湾に旅立ち、その道中を語る。一方、叔母のミーチャが送った植民地タイホクでの切ない暮らしもリーリーの整理によって描かれる。本発表はこの小説の重要な男性登場人物、すなわち「霧社事件」のリーダーである「モーナ」と台湾で生きる男性「ヤンさん」を分析し、二人が果たしている「父」という役割について論じたい。二人はリーリーやミーチャに愛や力を提供し、それによって新しい親密な関係が構築されている。またこの小説は登場人物の個人的な体験を語るにとどまらず、植民地に関する記憶を新たな視点から見ることができるという可能性も示唆している。
Penny Yeung (Rutgers University)
本発表は、多和田葉子による小説『雪の練習生』の魅力的な語りかたと近代思想との関係性を論じる。この作品は、人間のもとで育った三世代のホッキョクグマの言語能力の変化と置かれた空間の中での流動性を描いている。「自然」の定義は政治形態によって変化するものであるという描写は、「言語」と国民・個人としてのアイデンティティの関連は自然なものである、という近代の思想的底流を揺るがす。また、多和田以前の動物を主人公とする文学作品と異なり、動物性と人間性の間で揺れる語り手の「私」が曖昧化されることで、近代的な主体の誕生と結ばれた「内面性の美学」からの逸脱を図っている。
Zilin Zhou (University of British Columbia)
キャサリン・ヘーリスによると、ポストヒューマン主義は人間の複合性を主張する。それは物理的・肉体的な存在とシミュレーションの間には絶対的な境界線がなく、人間の身体が徐々に機械と融合していくとの考え方である。根村直美はこの概念をビデオゲームのプレイヤーに適用し、さらにゲームを通じて多元化した自己による既存秩序への異議申し立ての可能性を提示する。これらの理論を起点とし、この異議申し立てはどのように描写され、どのようにうながされるかをこの発表で検討する。具体例として「ニーアオートマタ」というゲームを参考に、主人公が宗教団体から逃走するセクションに見られる盲目的な信仰への破壊と恐怖がどのように異議申し立てと繋がりうるかを考察する。