2008年10月25日(土)26日(日)に「横浜国際フェスタ2008」がパシフィコ横浜展示ホールで開催され、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センターは昨年に引き続き「ふれあい手話ミニ教室」というブース展示を行いました。
この手話ミニ教室は、ふだん手話を用いている耳の聞こえないスタッフと、聞こえるスタッフがペアを組んで来場者を迎え、クイズ形式のやりとりを通して楽しく手話を紹介する企画です。ろう者と聴者のペア4組が、土曜と日曜の2日間を通して個別対応できた来場者数はおよそ300名、内訳は大人と子供がほぼ半々の割合でした。ご来場のみなさまに感謝を申しあげるとともに、集客に頑張ってくれた「こどもボランティア」小学生10名の奮闘を称えたいと思います。
以下に、クイズの内容を紹介し、解説を加え、手話理解促進の一助としました。クイズは大人用と子供用をそれぞれ準備しましたので、まず大人むけ手話クイズから順次ご紹介します。
中学高校生以上の来場者に対する最初のクイズは「お手洗いはどこですか?」という、ろう者の手話文を読み取る課題です。この文は下の3つの<手話単語>で成り立っています。手話で<場所>と<なに>を連続させると所在を問う疑問文が作れます。
<手洗い> | 両手をこすって水で洗うしぐさ |
<場所> | 片手の5指を軽く曲げ手のひらを下に向けて置くようにする |
<なに> | 数字の「1」を示すように人さし指を立てて軽く左右に振る |
続いてのクイズは上の<手洗い、場所、なに>の応用問題です。駅や空港などの公共的な場所によくある標識いわゆるピクトグラム(pictogram絵文字)を見て、今度は逆に来場者がろう者に手話で場所を問う課題です。もちろん来場者の多くは手話の経験がなく推測の身ぶりにすぎませんが、下の最後の<エレベーター>以外、ろう者にも一目でわかる身ぶりが工夫されていました。
<電話> | 握り拳の親指と小指を伸ばし受話器にし親指を耳に近づける |
<レストラン> | ナイフとフォークを扱うしぐさ |
<喫茶店> | 茶碗の把手をつまみスプーンでコーヒーをまぜるしぐさ |
<喫煙所> | 人さし指と中指に挟んだタバコを吸うしぐさ |
<エレベーター> | 人に見立てた右手を左の手のひらに立たせて上下させる |
最後の<エレベーター>のやり方について少し説明を加えます。手は左右反対でもかまいませんが右利きの人は、右手を人に見立てたほうが楽です。まず右手の人さし指と中指を伸ばしてお馴染みの「Vサイン」を作ります。その「V」を逆さまにして「Λ」の形にします。「Λ」の人さし指と中指が両脚で、右手全体が人を表すというわけです。その「Λ」型の人間を、エレベーターの床に見立てた左の手のひらに乗せて、両手いっしょに上下させます。人が乗ったエレベーターの上下動を表わす手話単語の出来上がりです。
さて「○○はどこですか?」に相当する手話文<○○、場所、なに>に慣れてきたところで、さらなるクイズが出題されます。ろう者が「コンビニはどこですか?」と尋ねるのです。コンビニの手話は、右手の人さし指と中指を立てて数字の「2」を、同時に左手で「4」を示しながら、両手で大きく丸を描きます。コンビニの特徴である24時間営業を表したものです。24時間営業をしていないコンビニも、この手話単語で代表させます。例えば下駄が入っていなくても「下駄箱」といったり、ペンばかりでも「筆入れ」というようなものです。
後半のクイズはDVD(アニメ映画「崖の上のポニョ」)について、①まず何(のDVD)であるかを尋ね、②その感想を求める、という2段階の構成です。①②とも様々な手話表現が考えられますが、①はごく簡単に<それ>+<なに>という2語文で表せます。相手の持っているDVDのケースを指さすことで<それ>を表現できます。<なに>は上のクイズその1で述べたように、数字の「1」を左右に軽く振ります。
ここで注目したいのは、<それ>と<なに>が同じ人さし指1本を使いながら、向きや動かし方によって、別の単語(別の意味)として機能している点です。なお手話では顔の表情や視線あるいは体の姿勢など、いわゆる非手指動作も大切です。文末の<なに>のところで指を振りながら、問いかける視線を相手に向けると意図がよく伝わります。
さて<それ、なに>と尋ねられた、ろう者はDVDのラベル「崖の上のポニョ」がよく見えるように示したあと、<わたし、これ、きのう、見た>といいます。この文に含まれる4つの単語は次のように表現します。
<わたし> | 自分の胸(あるいは鼻先)を指さす |
<これ> | 手もとのDVDを指さす |
<きのう> | 人さし指を耳の横に立て(爪が前向き)後ろを指さすように倒す |
<見る> | 人さし指を目もとからDVDあるいは聞き手に移動させる |
ろう者がアニメ映画を見たことを知った来場者は、続いて、その感想を問うことが求められます。この文も人さし指1本で表現できます。
<あなた> | 軽く相手を指さす |
<それ> | 相手の持っているDVDを指さす |
<思う> | 自分のこめかみに人さし指の先を軽く当てる |
<なに> | 数字の「1」を軽く振る |
以上の「それは何ですか?」も「わたし、これをきのう見ました」も「それをどう思いますか?」も、すべて人さし指1本で表現可能な文です。手話が効率的であることに気づいていただけましたでしょうか。もちろん手話には複雑な表現がたくさんありますが、基本中の基本は指さすことから始まります。
小学校の低学年くらいまでの子供を対象に、動物イラスト一覧シートを準備しました。このシートには陸上や水中にすむ様々な生き物40種のイラストが描かれています。そのうち約半数は陸上にすむ生物で例えば、猫、狐、熊、牛、羊、猿、ウサギ、トラ、ライオン、キリン、パンダなどの哺乳類や、スズメ、ニワトリ、ヘビなどです。残りの半分は、水中にすむ生物(魚、貝、イカ、タコ、クラゲ、カニ、ワニ、カメ、カエルなど)と、昆虫(蝶、毛虫、カブト虫、クワガタ、カマキリ、ゴキブリなど)です。これら多様な生き物の絵がB4サイズの紙1枚に盛り込まれ、ひと目で眺められるようになっています。
この動物シートは子供の年齢や関心の度合いに応じて色々な使い分けができます。今回の子供むけゲームで多用したのは、①手話でのネーミング(naming名づけ)と、②手話による動物さがしの2つでした。
①手話単語でネーミングする、というと何やら難しそうですが、要するにある動物の絵を指さして手話で実演して見せて、子供たちにも真似してもらう、という単純な遊びです。ふつうの音声日本語でも、例えば親ごさんが実際の犬を指さして「ほらほら、あれ、ワンワン。ワンワン来たねぇ」と子供に語りかけ、その子は「ウァンアン、ウァンアン」のようにたどたどしく真似しながらモノの名前(この場合はワンワンという幼児語)を覚えていきます。それと同じことを手話でおこなう遊びです。
②手話による動物さがしゲームは、上の①と逆の手順でおこないます。つまりスタッフがある動物の手話単語を実演して見せ、子供はその意味を考えシートにある該当の絵を指さすゲームです。スタッフと子供の手話によるやりとりは例えば次のようになります。
スタッフ | <猫>・・・・ | 猫が顔を洗うしぐさ=握り拳で頬のあたりをなでる |
<どれ>・・ | 動物シートをあちこち指さす |
子供 | <これ>・・ | 猫の絵を指さす |
スタッフに<猫、どれ>と尋ねられた子供は<猫>の意味を察知したうえで40種も散りばめられたイラストのなかから猫の絵を素早く探し当てなければなりません。子供が複数いる場合、いちばん早く正しいイラストを指させた子をほめてあげると、競争心を刺激しカルタとりのようなゲーム性が高まります。
子供が興じてきたら、出題する役割を子供に委ねることもできます。たとえ手話を知らなくても<狐>や<蝶>は影絵でお馴染みの手の形ですし、<カニ>や<猿>は一般のジェスチャーがそのまま手話単語として通用します。もちろん手話独自の動物単語のほうが多いのですが、まずは子供たちに動物の特徴をとらえて自分なりに表現してもらうことに、この応用課題のねらいがあります。子供は大人が思う以上に身体の表現力が豊かなようです。例えば<コアラ>を、木にしがみつく両腕で表現した子供たちが多くいました。この動きはそのまま手話単語として通用します。<コアラ>にはもうひとつ鼻の形を模した手話があります。水をすくうようなお椀形にした片手を、自分の鼻の前にかざす方法です。いずれにせよ、適応性の盛んな幼い子供たちは動物を演じる恥じらいが薄く、喜々として新出単語を吸収していきます。
動物イラスト一覧シートには、ゴキブリ、ヘビ、毛虫など嫌われ者の代表格たる生き物の絵も含まれています。手話単語<嫌い>の導入に重宝する生き物たちです。
ふつうの子供は(大人も)これらの生き物に嫌悪感を抱いています。好きな動物は各人各様ですが、嫌いな生き物はかなり共通するようです。ゴキブリの絵を指さしたとたん身を引く子供もいます。動物シートのゴキブリはちょうど実物大でリアルに描かれているのです。
手話の<ヘビ>は、親指をヘビの頭に見立てて他の4指は握り、拇印を押すときのように親指の腹(指紋のあるほう)を下にし、爪のほうを上にして、左右にニョロニョロと蛇行させながら前進させます。子供にむかってニョロニョロと<ヘビ>を近づけていくと、子供たちはたいてい避けようとします。そのタイミングで<嫌い>を提示します。
<嫌い>を表現するには、右利きの場合、あごの下で右手の甲を相手に向け、人さし指と親指で輪を作り、ほかの3指は軽く握ります。そして、あごの毛をつまむような人さし指と親指の輪の口を上に向けたままパッと開くと同時に勢いよく胸のあたりまで下ろします。<嫌い>を表現しおえた人さし指と親指は、拳銃のような形をしているはずです。
<嫌い>や<好き>などは、動作に表情を添えることで意味が際立ちます。<嫌い>は、いかにもイヤそうに対象物から顔をそむけると意志がより明確になります。この<嫌い>さえ表現できれば、次の3語を組み合わせてヘビが嫌いだという作文ができます。
<わたし> | 自分の胸または鼻を指さす |
<ヘビ> | 親指をヘビの頭に見立ててニョロニョロ前進させる |
<嫌い> | 親指と人さし指の輪をのど元からおろしながら開く |
反義語の<好き>は、手の形が<嫌い>と対照的な変化をします。<好き>を表現しはじめるときの手の形は、<嫌い>を表現しおえた拳銃のような形です。つまり<好き>を表現するには、まず右手の人さし指と親指を伸ばしてカタカナの「レ」のような形をつくり、ほかの3指を軽く握って、あごの下に構えます。あごの輪郭に「レ」の字をそわせるように構えたのち、手を下におろしながら、人さし指と親指の指先の間隔を狭めていき、胸までおろすうちに両指先をぴったり合わせます。<好き>の最後の形は、<嫌い>の出だしの輪の形にするのではなく、人さし指と親指の先(指紋と指紋)をぴったり密着させます。
<好き>も<嫌い>も、片手をあごの下から胸元に移動する軌跡は共通していますが、手の形が対照的な変化をするので、別々に覚えるよりもペアでまとめて覚えたほうが、違いが際立って記憶に残りやすいでしょう。手話にはこのような対義表現が多く見られます。
動物名と<好き/嫌い>が使いこなせると、手話でのやりとりが楽しめます。先に触れたように好きな生き物は個人差があり、兄弟姉妹でも意見が分かれて面白い反応が返ってきます。特にカエル、カマキリ、ネズミなどは幼ないうちから好き嫌いがかなりはっきり分かれるようです。生き物について個人的な好みを尋ねるやりとりは、単なるゲームというよりも、手話による本当のコミュニケーションといって差し支えないでしょう。
以上、大人と子供のための手話クイズをそれぞれ個別に紹介してきましたが、両者には共通するテーマがあります。それは何かというと、ふだんの音声を主体としたコミュニケーションをふりかえってみても、指さしに代表されるような身体の動きが重要な働きをしている、ということです。
大人むけクイズその1は、トイレや公衆電話などの場所を尋ねたり教えたりする課題でした。国際フェスタの会場である展示ホールはなかなか広く、しかも当日は各ブースの間仕切りが複雑に立ち並んでいて見通しがきかず、道順の説明は容易ではありません。「ことば」による説明には自ずと限界があり、誰もが「からだ」を動かし始めます。ふつうはまず立ち位置を変え、トイレなり公衆電話のある方向に「からだ」全体を向け、聞き手にも同じ方向に向き直るよう促します。そして指さしによる説明が始まります。
子供むけゲームその1でも、やはり指さしが重要な働きをしていました。40種類もの動物の絵が目の前にあっては「これ」だの「それ」だの言っても「どれ」なのかよく分かりません。もし同じ種類の動物が複数いる状況では「その猿」とか「あの羊」という表現は、指さしを伴わないかぎり意味が浮かび上がってきません。
「ことば」に伴って「からだ」が動く現象は、耳の聞こえる人同士の会話でも日常的に観察できることです。交番で道を尋ねる人とお巡りさんのやりとりは、先の大人むけクイズの状況そのものです。また、電話で話している人をそれとなく観察していると、目の前に話し相手がいないのに何やら手を動かして説明している人がいます。かと思うと、お辞儀をしたり、うなずいたりしながら電話をかけている人もよく見かけます。興味ぶかいことに、生まれながらに目の見えない人同士が話すときも、誰も見ていない身ぶりが伴うのだそうです。
もちろん他人事ではなく自分も「ことば」に伴って「からだ」が自然に動いていることに、ふと気づく瞬間があります。このように「ことば」と「からだ」が分かちがたいことを誰でも経験していますが、学術的にも両者の密接な関係が明らかにされています。例えば、赤ちゃんが母語を獲得していくとき「からだ」でリズムをとりながら発音練習をしていること、あるいは、成人が手を動かしながら思考を整理し「ことば」を生みだす場合があること、など様々な角度から「ことば」と「からだ」の関係が研究されています。
それらの成果が物語るのは、音声言語と手話言語が根源を共有しているという事実です。耳の聞こえる赤ちゃんはだいたい満1歳くらいから「ことば」を話し始めますが、それ以前に「ことば」の準備段階である喃語つまり「バブー」とか訳のわからないことを口にする段階をへなければなりません。いっぽう耳の聞こえない赤ちゃんも手指喃語(manual babling)とよばれる手の動きを見せることが知られています。聴力に問題のない一般の赤ちゃんには観察されない微妙な手の動きです。耳の聞こえない赤ちゃんは、周囲に手話環境さえ整っていれば、この手指喃語の段階をへてやがて手話らしい手話を母語として獲得できます。ヒトが遺伝的にもつ言語獲得の仕組みは、たとえ耳で聞く音声言語の経路を断たれても、目で見る手話言語という別の方法によって、無理なく発揮できる潜在力を備えています。
手話ミニ教室の最後に来場者から手話やろう者について質問を受ける時間を設けました。よくある質問のひとつは「日本の手話は、日本語の手話ですか?」という素朴な疑問です。生まれながらに聞こえない人が自然に身につけた手話には、日本語と異なる独自の文法がありますので、上の質問に対する答えは「いいえ」が正解になります。
同様によくあるのが、手話は世界共通か、という質問です。これに対する答えも「いいえ」です。日米のろう者の言語である「日本手話」と「アメリカ手話」の基本的な語順の違いは次の例のとおりです。
日本手話 | <わたし、あなた、好き> | 主語 | 目的語 | 動詞 | の語順 |
アメリカ手話 | <I, Love, You> | 主語 | 動詞 | 目的語 | の語順 |
日本手話は日本語の語順、アメリカ手話は英語の語順に従っていますが、これがそのまま「日本手話が日本語の手話」であることを支持するものではない点にご注意ください。日本手話らしい語順の1例が、先の大人むけ手話クイズその2で取り上げた、アニメ映画の感想を求める<あなた、それ、思う、なに>という文です。
日本語 | あなたは | それを | どう | 思いますか? |
日本手話 | あなた | それ | 思う | なに |
この図に示したように、日本手話では<なに>や<なぜ><どれ><いつ><いくつ>などの疑問の表現を文末におくのが一般的です。英語でWhat, Why, Howなどの疑問詞が必ず文頭にくることを思い起こすと、日本手話の疑問文の作り方は英語と正反対で、日本語の語順とも異なることがわかります。また「は、を、が」などの助詞が、手や指の動きとして表面化しないのも日本語と異なる手話らしい特徴です。
今回の手話ミニ教室では指さしがテーマでした。手話では指さしが文法的な機能を担っている点も興味ぶかい特徴のひとつです。例えば「電話が壊れた」と「電話を壊した」の違いを表現しわけるには、文末で指さしを文法的に使います。
<電話、折る、これ> | ・・・ | (この)電話が壊れた |
<電話、折る、かれ> | ・・・ | (かれが)電話を壊した |
破損や障害など広く壊れること全般をさす<折る>動作は、例えば割り箸の片方の1本を両手でギュッと握りしめ両手首を下にねじって中央からボキッとふたつに<折る>様子を想像してください。この<折る>のあと文末に、手もとを指さす<これ>を加えると「~が壊れた」という意味になり、斜め前方に第三者を想定して<かれ>を指さすと「~を壊した」になります。このように手話では指さしが、具体的なモノをさす指示機能ばかりでなく、文法的な働きも果たします。日本手話の指さしが、音声日本語の「これ、それ、あれ」の単なる代用ではないことが理解できるでしょう。なお日本手話にも過去形(の文法要素)がありますが、文脈から自明の場合はとくに付け加えません。
最後に参考例として、アメリカの手話で「アイ・ラヴ・ユー」と表現する方法を『神様は手話ができるの?』という実録小説から紹介して締めくくりましょう。生まれながらに聞こえない4歳半の愛娘リンに、耳の聞こえる父親が手話で語りかける場面です(トマス・スプラドリーほか著1980年早川書房刊246ページより引用)。
“「アイ」― ぼくは右手でこぶしを握り、小指を立て、胸のそばにもってゆき、半秒して、「ラヴ」― 両手でしっかりとこぶしを握り、もったいぶって手首を交差して、ちょっと心臓の上におく。「ユー」― 左手を下ろし、右手の人さし指で、リンを指さす。”
2007 年10月27日(土)~28日(日)に「横浜国際フェスタ2007」がパシフィコ横浜展示ホールで開催され、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センターも参加国際機関のひとつとして「ふれあい手話ミニ教室」というブース展示を行いました。以下その概要をご報告します。
「ふれあい手話ミニ教室」は、ふだん手話に接する機会がない一般の方々に、ろう者の言語である手話に気軽にふれて、その魅力を楽しくご理解いただくクイズ形式の手話紹介ブースです。手話のおいしいところが味わえる、いわば手話の試食コーナーといった催しです。2日にわたるフェスタ期間中、ろう者スタッフ(講師役8名)と聴者スタッフ(助手役10名)がペアを組み、約300名の来訪者に個別対応しました。
老若男女、実にさまざまなお客様がミニ教室を訪れ、国際フェスタらしく日本語を母語としない外国の方々も日本の手話を学ばれました。ほとんどの来訪者は手話が初めてでしたが中には、かつて手話を学んだ経験のある方、あいさつなどの定型表現ができる方、歌詞に手話の対訳を添えて披露してくれた小学生(学校で習ったとのこと)、自分の名前を指文字で言える幼児など、手話に接した経験をもつ方々もいらっしゃいました。さらに、ろう者(一般来場者)の方も何人(何組)かミニ教室に立ち寄り、スタッフと手話で会話を楽しむ姿が見られました。
来訪者に負けず劣らず、ろう者スタッフの顔ぶれも多彩(多才)で、手話の指導方法もそれぞれ個性豊かでした。初日10月27日(土)は日立製作所のろう社員の方々を講師としてお招きしました。日頃から手話案内サービスにも携わっているだけに、来訪者への対応は懇切丁寧なものでした。2日目10月28日(日)は、手話教師、手話狂言師、ホームページデザイナーとして活躍中の方々を講師としてお招きしました。手話教師は語学教育の専門家らしい熟達した技法を惜しげなく発揮し、いっぽう手話狂言師の豊かな表情と巧みな身体の動きには、ことば以上の説得力がありました。また普段コンピューターと向き合うホームページデザイナーの手話は無駄がなく明瞭で見やすく来訪者の理解を促していました。
早合点して「手話は世界共通」だと考える方が多いようです。今回の手話ミニ教室でも同様の質問が寄せられました。もちろん手話は世界共通ではなく、一般の音声言語が国や地域によって異なるように、手話も国や地域ごとに異なり、また世代間の微妙な違いもあります。
手話は、身ぶり手ぶりを組み合わせて人工的に作り上げたコミュニケーションの補助手段だとよく誤解されがちです。そのようなジェスチャーあるいは「なんちゃって手話」は確かに意志伝達の役には立ちますが、言語とよぶことはできません。
ろう者同士が用いる本当の手話は、まぎれもない言語です。日本語や英語などと同じく、自然(に発生した)言語のひとつです。独自の文法規則や語彙体系をもち、どんなに複雑な内容でも効率よく表現できる言語です。ただひとつだけ一般の言語と手話が異なるのは、手話が音声つまり聴覚に頼るのではなく、身体の動きで情報を伝える視覚言語であるという点です。
音声言語に慣れ親しんだ(耳の聞こえる)人にとって、音声を用いない手話は、驚きであり、新鮮であり、感動的ですらあります。手話の学習経験は、ほかの外国語では味わえない興奮を与えてくれます。それを実感いただくため「ふれあい手話ミニ教室」では例として次のような手話表現を紹介し、来訪者ご自身にもお試しいただきました。
(1a) 彼に話します。 | (1b) 彼と話します。 |
(2a) ドアがあきます。 | (2b) ドアをあけます。 |
(3a) 人が集まります。 | (3b) 人を集めます。 |
(4a) ファックスが壊れました。 | (4b) ファックスを壊しました。 |
(5a) 本を読みます。 | (5b) 本を読みました。 |
(6a) 本を読んであげた。 | (6b) 本を読んでもらった。 |
(7a) 本を読ませた。 | (7b) 本を読まされた。 |
これらの文を手話で具体的にどう表現するかは、脇中起余子著『よく似た日本語とその手話表現』北大路書房2007年刊の図解と説明をご参照ください。「ふれあい手話ミニ教室」の企画にあたり、この本から多くのアイデアを拝借しました。また例文(4)は、斉藤くるみ著『少数言語としての手話』東京大学出版会2007年刊からお借りしました。
手話では、日本語の助詞「1.~に/~と」や「2.~が/~を」などに当たるものを明示せず、また自動詞と他動詞たとえば「4.壊れる/壊す」が同じ表現になる場合がよくあります。このように手話には助詞がなく、自動詞と他動詞を区別しなくても、混乱が生じることはありません。それは日本語とは異なる文法機能がきちんと働いているからです。たとえば英語のbreakが自動詞「(~が)壊れる」と他動詞「(~を)壊す」の両方を兼ねていても不都合が生じないのと同じようなものです。日本語と英語が異なるように、日本語と手話も異なる言語ですから、表現のしかたが違っていて当然です。
上の例文(2)と(3)は、手話でも自動詞と他動詞の区別をします。さらに手話の「あく/あける」はドアの形状やあけ方によって別の単語(表現形式)を選び、微細な違いまで示すことができます。
(5)から(7)は「本を読む」という共通部分に付属する(5)時制、(6)授受、(7)使役・受身を手話でどう表現するかが問題となります。手話ではこれらの各文法形式は、瞬時の動作で簡単に伝えられます。詳しくは『よく似た日本語とその手話表現』をご覧ください。
視覚と聴覚という伝達の経路こそ異なれ、本質的に手話は音声言語と何ら変わりません。日本語で言えることは、すべて手話でも表現できます。しかも手話のほうが短時間に多くの情報を効率よく伝えられる場合すらあります。たとえば(2b)のドアをあけるという内容を伝えるのに、日本語では「ドア」「を」「あけます」という3語を直線的に結び付けて順番に音声化しなければなりませんが、手話なら同じ内容をたった1語で、しかも先に述べたようにドアの形状やあけ方の違いまで表現できるのです。
手話を母語(第一言語)として育ち、その後、日本語の読み書きを第二言語として学んだろう者からみると、日本語は主語が隠れているので文意が理解しにくいことがあるそうです。このような感想は、外国語として日本語を学ぶ英語話者などがよく口にする印象と共通しています。主語を明示する手話は、むしろ英語の感覚に近いようです。
ろう者とは反対に、日本語を母語とする聴者にとって、手話は外国語(第二言語)です。しかしそれは単なる外国語ではなく、音声に頼らない視覚言語であるという驚嘆すべき特性を備えているのです。これから新たに未知の外国語を習い始めたいと考えている方には特におすすめの言語です。